2月 212021
 

【補足】

本稿(その3)で、県議会の動向について触れた。
昨年12月の定例会で、一連の決議が出されていると書いた。
これを筆者は玉虫色と若干皮肉を込めて指摘したが、その理由についてまとめておく。

県議会として意思表明されたのは次のふたつ。

①県議会本会議「慎重に検討を求める」全会一致で決議
https://www.pref.gunma.jp/gikai/s07g_00792.html

②請願「群馬県民会館の存続を求める決議」→趣旨採択

①について
全文を読んでいいただければわかるが、論旨はまさに「慎重に検討を求める」ということのみ。高まる県民世論(とりわけ在前橋文化系団体)に配慮して逡巡した形跡としての言葉を巧みにちりばめてはいるが、詰まるところ主張はそこまでで、別段存続を求めているわけではないところに留意すべきであり、廃止の検討を進める知事との真っ向からの対立を避けている形だ。

一方で、山本知事も自己のブログで、県議会側からのサインをこう受け取った旨記している。
https://ameblo.jp/ichita-y/entry-12644169597.html


(以下引用)
中間報告で見直しの対象とした各施設に関しても、「存続すべきだ」という文言は使われていない。全て「時間をかけて慎重に検討すべきだ」という表現になっている。これまで、「年度内に最終的な方向性を決める」という方針は変えないつもりだった。が、県議会の決議を軽んじるようなことはしない。この流れを受けて、「どう濃淡をつけられるか?」をよく検討したい。必ず妥協点を見つけられるはずだ。


②について
県議会への「請願」は、憲法16条に保証された国民の権利である。出された請願に対して県議会は審査を行い、一定の結論を出すことが決まりとなっている。結論を出すとは、請願に対して、県議会の総意として白黒付けるということ、即ち採択とするか不採択とするかということであるが、実は白と黒の間にグラデーションがあるのだ。つまり、「採択」「一部採択」「趣旨採択」「一部趣旨採択」「不採択」「継続審議」の5種類だったか。議会の意思表明として、それぞれの意味を確認しておく。

「採択」
願意が妥当であり、法令上、行財政上実現性があり、議会として賛同することをいう。

「一部採択」
1個の請願・採択のうち、一部の項目または部分を採択することをいう。

「趣旨採択」
願意は妥当であるが、実現性の面で確信が持てない場合に、不採択とすることもできないとして採られる決定方法のことをいう。

「一部趣旨採択」
一部の項目についての願意を妥当とし、趣旨採択とすることをいう。

「不採択」
当該地方公共団体の事務に無関係のものであったり、当該議会の権限外のものであったり、さらに願意に賛成できない、実現可能性がないといった場合の議会の意思決定のことをいう。

「継続審議」
当該会期中に審議を終了できず、特に会議で議決して付託を受けた委員会 が閉会中に引き続き審査を行うことをいう。

(他に「審議未了」を運用している自治体もあるらしい。)

・・・であるので、今回の「趣旨採択」は“採択”の2文字が入っているけれども、実現性の面で確信が持てないと議会が受け取っているということ。あくまでもグレーなのである。だから、請願側は趣旨採択されたからといって喜んでばかりはいられぬはず。決して、県議会が賛同してくれたわけではないのだから。

以上からの今後の観測
知事は県議会の意向を軽んずることはしないと断言している。おそらくは、執行部側で設定していた年度内の結論は先送りされるだろう。これによって、知事は議会の意見をいったんは聴き入れた(時間をかけて慎重に検討)ことになるし、議会側も要求を受け入れてもらった形になる。Win-Winというわけだ。(これこそ「政治」的)

並行して事務レベルでは、前橋市当局との協議が続いているはずだ。言わずもがな、市への移管のための地均しである。最終的にはW山本のトップ同士での手打ちということになるだろうけど、そこへ向けての条件の詰めや、それを明記すべき協定案の作成など、様々な下準備や環境作りが進められることだろう。

折しも、先日17日には群馬県議会の令和三年第一回定例会が開会し、24日(水)からの一般質問で論戦がスタートする。その場で、知事の最終判断への見通し等がただされ、答弁として年度内の結論先送りが表明されるのではないか。注目である。

【追記】
本日24日の群馬県議会で、前橋選出の安孫子県議(自民党)から出された県有施設のあり方見直しに関する質問をし、特に群馬県民会館について山本知事は「必ずしも年度内の最終方針の決定にこだわらない」旨答弁し、結論の先送りを表明しました。


【関連記事】
〇群馬県民会館の件(その1)
〇群馬県民会館の件(その2)
〇群馬県民会館の件(その3)

 


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 Posted by at 20:59
2月 122021
 

(その2)からの続き

3.県民会館の今後

県民会館については、まちづくりの観点から県立図書館と隣接している立地の重要性や、建築物としての文化的価値など、様々な角度から群馬県民会館の再評価もなされている。それは理解できるし共感もするが、ただ文化行政としては傍論なのではないか。いかに、県民文化の振興に資するか否かこそ本論であると心得ている。

文化振興指針記載のように、県民会館が広域的見地から設置された施設であることに思いを致せば、前橋市外の文化団体等からは、同様の声があまり上がっていないように感じている。(←筆者の調査不足もあり仮説の域を出ないが)事実であれば、皮肉なことに、これこそが県民会館が『前橋ローカル化』してしまった何よりの証左なのではないか。

もちろん、全県民の代表たる県議会が一定の決議をしており、重く受け止めるべきとは承知しているが、前述のとおり決議内容には玉虫色が滲み出し、情勢次第でどちらでも転べる穏健な性格を帯びている。また、守る会・願う会の二団体による二万人超の署名もその半数が前橋市外からのものと聞いているものの、全県の文化団体がもっと声を上げ、広域的施設存続の必要性を立論できなければ、行財政改革を前面に押し立てる県を慌てさせたり、あるいは県議会を完全に振り向かせるるような迫力に欠けると感じるのは、私だけだろうか。

なお、前述の私の仮説が正しいとすれば、広域的文化発信といった歴史的役割を終え、『前橋ローカル化』してしまった県民会館は、無論、県からの有形無形の支援が必須という条件は付くだろうが県から市に移管して存続するというのが落とし所となるのではないか………そんな風に思っている。(市が引き受けるかどうかはまだわからないが・・・)

県ホームページによれば、本年1月中には「見直し委員会」の最終会合がセットされていたようである。いずれ近いうちに、県からの最終方針が明らかにされることだろう。もしかすると、存続の場合に必要となる経費の詳細や、その場合の県民1人当たりの概算負担額等、何よりも今後の県の文化行政へのビジョン(最終的には第3次文化振興指針となるべき?)もセットで……これらが明らかにされれば、県民世論の風向きも変わるかも知れない。存続には今後××年で○○○億円かかります、よって県民1人当たり△△万円かかります、てな具合に。そうすると、考えを変える県民もいるはずで・・・いずれにせよ、年度内を限りに結論を急がずとも、必要な情報を得た中で、もう少し(3ヶ月でも半年でも)時間をかけて議論を重ねても良いのではと思う次第。

4.前橋男声合唱団・・・演奏者としての立場から

我々前橋男声合唱団は、実は群馬県民会館でのオンステ機会はさほど多くない。群馬交響楽団と「交響詩曲ぐんま」(これこそ、県民会館竣工時の記念事業で編まれた大曲!)を歌う年一回の演奏会に、1990年代に男声コーラスとして数回オンステしたことがあるほか、直近では2006年にやはり群馬交響楽団演奏会「コーラス・ファンタジア」に同様に賛助出演したことがある程度。振り返れば、数回ながら我々は県民会館での興行に確かに参画し、貴重な音楽的経験を積むことができたのもまた事実である。そのような機会に巡り会えたのは県民会館が存在したからであり、文化事業団等の主催者による導きがあったからでもあり、県民会館への感謝の思いは少なからず抱いているつもりだ。

一方で、ここでの自前演奏会の開催経験は皆無である。なぜ会場候補に上らなかったかというと、その理由は音響がいまひとつだからの一点。大合唱団なら数の力で押し切ることも可能だろうが、小団のような少人数合唱団には、音響の良し悪しは演奏の良し悪しにも直結しかねない。音響は会場選定時の最優先検討事項であったのだ。

このように、小団と県民会館はこれまで直接のお付き合いが希薄な中、時間が経過してしまっている。それ故に、ドライに客観的な見方も可能な気もしている。だから、ここまで思いを綴ることができているわけで。

確かに、群馬県民会館が廃止となれば、これまで利用していた団体が近傍の施設に転出し、本番・練習会場共に、その確保時など競争が激化することが懸念される。この点からも、移管による県民会館の当面の存続を支持したいが、存続のために加えるべき補修など、県民及び前橋市民が将来にわたり負担する内容の全貌について不明な点も多く、正直胸を張って旗幟を鮮明にすることができない。引き続き県と市には情報開示をお願いしたいところだ。

5.まとめ

 1.県の意思決定過程は適正であったと思われる。
 (今後の情報公開にも期待)
 2.県の広域文化行政に対する今後のビジョンが不明。その提示がセット。
 (もし、県の関与を薄め市町村営施設に代替を求めるのであれば、補完するソフト施策も必須)
 3.県民会館が『前橋ローカル化』してしまった現状(筆者の主観ではあるが)を鑑み、
  県から市へ移管するのが落としどころではないか

以上、客観的データに乏しい中、かなりの部分を主観で論じるのは限界があるので、この辺にしておきたい。
毎度乱文にて恐縮です。最後までお読みいただきありがとうございました。


【関連記事】
〇群馬県民会館の件(その1)
〇群馬県民会館の件(その2)

 


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 Posted by at 22:40
2月 112021
 

(その1)からの続き

1.県の2つの意思決定のうち、正当なのはどちらか

ここ数年で、県では「あり方検討部会」「見直し委員会」、相反したふたつの方針が相次いで出された形だが、その組織論的な重みから見た結論の正当性について触れてみたい。

ご存知のとおり、先に条件付き存続の結論を出していた旧政権の「あり方検討部会」の担当は文化行政部局であり、新政権の「見直し委員会」は行財政改革を所管する総務部局の担当である。建前としては、県の施策の方向性を出す際は関係部局合議の上、知事の裁可を仰ぐ形となるのが通常の意思決定過程であり、「あり方検討委員会」の出した方向性が前知事の決裁を受けて意思決定されていたはずである。

しかし、政権交替後、新知事の意向に沿って総務部局が案を練り上げているはずなので、このちゃぶ台返しは既定路線でもあったろう。また、前述のとおり、ちゃぶ台返しは、行政の継続性を云々してみたところで、むしろ通例であるし、直近の民意を得た新政権の強みもあり、その正当性は補強される方向に働くのだろう。

個人的には、前政権の「あり方検討部会」は群馬県文化基本条例をはじめとした法令に則り設置された検討機関で、メンバーや議事録も開示済みであるのに対し、「見直し委員会」は県内部における任意の検討組織にとどまり、構成員や検討プロセスも非公表であるなどブラックボックス化しており、現時点では、その重みの印象に差を感じざるを得ないのが正直なところ。

ただし、それを差し引いても、県の出した2つの結論のうち、「見直し委員会」の出した最新の廃止検討路線が最終的な正当性を保持するものとみて差し支えないだろう。

2.県の文化行政ビジョンの提示がセットであるべき

二つ目は、県としての文化行政、特に文化施設への考え方が見えてこないということ。言うまでもなく県民会館は県管理の文化施設であり、一義的には県の立案する文化施設の配置計画により設置されるべきもの。

昨秋「見直し委員会」が中間報告の中で廃止の方向性を提示したが、その必要性については、既存の市町村営施設で代替可能であるような書きぶりなのだ。「見直し委員会」委員からは、Gメッセや高崎芸術劇場が役割を担えるなどというコメントも掲載されており、まるで、県が文化行政への責務から撤退するかのような印象さえ受ける。

では、既存の文化施設配置計画ではどのように方針が示されているのか。群馬県の文化行政の方向性を示す現行の第2次文化振興指針(平成30年〜34年までの五カ年計画=「あり方検討部会」設置と同様、前政権下で立案・実施されたもの)の中から県民会館への該当部分を引用する。
https://www.pref.gunma.jp/03/c42g_00060.html


「群馬県民会館」
県域的・広域的な文化事業、伝統芸能の継承や担い手の育成などの中核的な施設で、2,000 席級の大ホール、充実した舞台設備を備えています。開館以来46 年経過していることから、耐震対策と座席の改善など、県民目線での改修を進めます。(大規模改修工事を平成 32 年度~平成 33 年度に予定。)


「見直し委員会」の打ち出す廃止の方向性とは正反対の指針であり、現時点で、県の施策として整合性がとれていない。ただ、もし県が本気で県民会館を廃止する積もりであれば、本指針も改定への手続きが着手されているであろう。(今後も注視して参りたい。)

さて、指針に記述のとおり、県民会館は県域的・広域的な文化事業を実施すべき県有施設であり、県内唯一無二の大規模多目的文化施設である。ただし、広域的見地から設置された施設である事も忘れてはなるまい。県が市町村を越える広域行政を担うのは地方自治法に定められたとおりであり、文化行政も然りだからだ。

また、県庁所在地である前橋市は、群馬県のほぼ中央に位置し、県内のあらゆる市町村から、例えば自動車利用なら最大1時間半程度(高速道路利用)で等しく到達できるロケーションだ。こういった地理的特性のもと、広域的文化施設の位置づけを得て、県都前橋に「群馬県民会館」は晴れて設置されたのだろう。

しかし、その後、市町村単位で良質の文化施設が次々と建設されるに至り、県民会館に行かなければ接することが出来なかったはずの程度の良い文化事業というものを、遠く前橋まで出掛けずとも、おらが町のホールで十二分に堪能できる時代を迎えたのである。高速交通網や主要幹線道路が整備され、市町村営の施設へマイカーを乗り付けて難なく訪れることが可能となり、県民が手にした多くの選択肢の中から、いつでも文化事業の恩恵に預かることが出来る時代となっていった。

その間、音響技術は進歩し、一方で高齢化社会が到来するなど県民の価値観も徐々に変化を遂げる。耳の肥えた客層を満足させ、弱者にも配慮することが求められる社会へと時代は大きく変化した。元々多目的性格が強いホールのため、残響効果には秀でず、段差の多い構造からバリアフリー対策は不十分とならざるを得ず、耐震的にも不安を残した県民会館は少しずつ時代から取り残され、その価値は相対的に低下していったと思われる。

ただ、高崎の群馬音楽センターと並んで県内双璧である2000人超のキャパシティは興行側からは魅力であったのだろう。有名アーティストによる大型コンサートツアーの群馬公演と言えば、前橋か高崎というのがお決まりの時代もあったように記憶している。こうして、学校のコンクール等、シンボルとしての県都開催を必要とする一部のイベントを除いて、県民会館においてこそ!といった個性は徐々に薄れていった。つまり、県民会館は50年をかけ、ゆっくりと『前橋ローカル化』していったのではなかったか。

そうした中、このたび県民会館廃止が提起され、前述したように在前橋の文化団体を中心に存続を求める声が上がっているが、気掛かりなのは県の広域文化行政に対する今後のビジョンが不明確であり、これが混乱に拍車をかけているように思えてならないことだ。早急に、県は広域文化行政に対する将来ビジョンを明らかにすべきではないか。市町村営施設に役割の代替を求め、県民会館廃止の方向性を明確にするのであれば、それを補完する政策の立案、これはセットであるべきなのだ。

例えば、仮に市町村営の文化施設に代替を求めるのであれば、そこには課題も幾つか待ち受けている。

一番なのは、市町村営であるだけにそこの市町村民の利用が優先されがちであることだ。それは、施設が市町村民税を原資として運営されていることを考えれば当然のことかも知れないが、現に我々のような「前橋」の看板を背負っている団体は、他市町村営施設への敷居の高さを常日頃から肌で感じている。

市町村外の団体であるならば厳しく団員名簿の提出を求められ、メンバーの住所が査定され、当該市町村民が過半に達していないと利用が拒否されることも実際あるのだ。中には利用料金を30%割り増す施設もあるなど、よその文化団体を排除をしても、共に育てようという広域的見地は、市町村内では今日までほとんど育っていないと言っても過言ではないだろう。

特に、我々前橋男声合唱団は、活動拠点が前橋という意味で「前橋」の冠を付けてはいるけれど、確かに設立当初は前橋市民がたまたま多数を占めていた。けれど今や県内外からメンバーが集まり、事実上広域の文化団体となっている。道路が整備され、移動に不自由を感じなくなった昨今、これは当団だけの例外ではなく、文化活動はますます広域化してきている。検証データを提示することは今できないが、合唱団にせよオケにせよ、一市町村内でメンバーが完結する団体など、ごく少数に限られるのではないか。

二番目には、本当に市町村が広域行政の一端を担うとなれば、これに対する応分の負担を、県に求めても良いのではないかという、県の財政的支援の課題も浮上するのではないか。文化振興に係る県の責務や努力義務について、県はどう考えているのだろうか。

ともかく、もし、県が広域文化行政への関与を弱め、市町村施設への代替化を進めるのであれば、これらの課題を解決するため、すき間を補完するソフト施策の提示が不可欠であると私は主張したいのだ。これが「見直し委員会」の出した方向性の論拠である豊富な市町村営施設への代替化案が、浅慮であると考える所以である。

(そもそも、県民会館イベントのGメッセへの代替が可能と思っている人間が「見直し委員会」に委員として居ること自体、適性を疑うし、その拙いコメントを中間報告書の中に出してしまう県も情けない。)

(その3)では、私見ながらも県民会館の今後の見通しや演奏者としての小団の思いを述べてみたい。

 


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 Posted by at 20:43
2月 102021
 

群馬県が財産として管理する県有施設10施設の存廃問題が昨年来論議を呼んでいる。中でも、築50年を迎えた「群馬県民会館」(ベイシア文化ホール)への対応は、その焦点となっている。これについて、在前橋のアマチュア文化団体の末席を汚す当団としても、少々自説を述べてみたいと思う。

◆これまでの経緯

発端は、群馬県が昨年2020年1月に設置した「県有施設のあり方見直し委員会」(以下「見直し委員会」という。)なる組織が、10月7日に群馬県議会行財政改革特別委員会に対し、県有施設10施設の見直しの中間報告を行ったこと。
https://www.pref.gunma.jp/contents/100171405.pdf

中でも「群馬県民会館」は多大なコストを支出してまで維持する必要性は低く、県有施設としては廃止を検討すべきという方向性が示されており、内外に波紋を投げかけているというのだ。

もともと、県民会館の行く末については、一定の結論が出ていた。今から5年前の2015年(平成27年)の第7回群馬県文化審議会において、既に築46年を経過し、その存在意義を問われつつあった群馬県民会館について、「群馬県民会館のあり方検討部会」(以下「あり方検討部会」という。)の設置が決議された。そして、部会の中で足掛け二年にわたり突っ込んだ議論が繰り広げられた末、条件付きながらも、その存続を容認すべきことが報告書としてとりまとめられ、2016年(平成28年)には同審議会からの答申が知事(大澤知事=当時)になされるに至った。
https://www.pref.gunma.jp/contents/100012377.pdf

これを受け、文化行政担当課は条例の改正や、予算として県民会館の大規模な補修を盛り込むなど、着々と施策展開を図ってきたが、なぜ、一旦ケリのついた話が、ちゃぶ台返しをされようとしているのか。それはもちろん、2019年(令和元年)7月の選挙で知事が替わったからである。

新政権が前政権の施策を否定することは、古今東西ありふれた話ではある。

元々、群馬県政を日頃ウォッチしている方ならいざ知らず、今回のようにセンセーショナルに報道されると、どうしても唐突な感じを受けてしまうが、山本知事は、当選して3ヶ月足らずの2019年10月には、次年度予算の編成方針の中で行財政改革を断行するプロジェクトに言及しており、萌芽は既に見られていたのだ。続く翌2020年の群馬県議会の第一回定例会においても、県有施設の見直し方針について触れるなど、あくまで正当な手順を踏んだプロセスを、この日を想定したかのように着実に踏んでいたのだ。(行政対応としては、当然であるが)

唐突か否かはさておき、一方で、前橋市内の文化団体を中心に、「群馬県民会館を守る会」「群馬県民会館の存続を願う会」の2団体が結成され、ネット上でブログを開設したり、リアルでは2万人超の署名活動を集めるなど、県民会館の存置を主張の中心に据えながら活動を繰り広げ、県民の中にも今回の論点の存在が静かに浸透してきている。

また、どうやら群馬県議会も、このような県民世論の形勢を見て、昨年末の第三回定例会(後期)において、県民会館の存続の請願を趣旨採択し、慎重な検討を求めることを全会一致で決議するなど、県民会館の存続支持へ傾斜を強めているようだ。
(ただし、慎重な検討を求めているだけで、明確な存続決議をしていないということは、知事との真っ向対立を避けている・・・このことには注目すべきであろう。大人の対応とも言えるが、すなわち、知事への迎合も視野に入れた、玉虫色が滲んでいる点には留意すべきだ。)

前置きが長くなったが、このような経緯や背景を一旦押さえておき、次回以降、二つの論点で自説を展開してみたい。

(その2)へ続く

 


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 Posted by at 22:43
9月 212010
 

9月19日に行われた群馬交響楽団の定期演奏会で配付される、
演奏会プログラムに対するちらし挟みに行ってきました。

群響マネージャーの栗田氏の指示で、1600部を用意して持ち込んだのですが、
よく考えれば、そもそも群馬音楽センターのキャパは公称1932席。
若干少なく見積もっているようですが、実際は足りたのかな・・・・?
それとも、合唱団が入る分、客席外してオケを前に出したのかな。
当日、別に演奏を聴いたわけではないので、顛末はわからずじまい。

「のだめ」なんかで一時的に集客数が増えたけど、
そろそろ一過性の客が去ってゆく頃ですな。
と思ったら、事業仕分けや自治体からの補助金削減で楽団財政は青息吐息。

前にここでも書いたのですが、 世の中には古今東西を問わず、文化芸術が必要です。

その文化芸術振興の責務は国と地方自治自体にあると、
文化芸術振興基本法(平成13年法律第148号)には書いてあります。
経済が悪い時こそ、文化芸術のありがたさが相対的に高まると、
私などは思ってしまいますが、いかがなもんでしょう?

それはさておき、この日は年に一度の群響合唱団が出演する唯一の公演。
合唱関係者からしたら、絶好の宣伝日和なのです。

そんなわけで、本ブログ冒頭掲示中のちらしを挟み込むことに。
同業者もちらほら。
全部で、14~15団体だったかなぁ、挟み込みに来てたのは。

合唱団葡萄のisaさんにもお会いし、演奏会情報を入手。
第8回演奏会が11月21日(日)14時に、玉村町のにしきのホールだそうです。
11月6日にもちらしを挟み込みにおいでになりたいとのことで、即諾。

さて、ちらし挟みの方は途中休憩をはさみながら、 14時から16時まで約2時間を要しました。
6~7人がチームを作って一列に並び、次から次へとちらしを重ねて受け渡してゆき、
最後に、演奏会プログラムのど真ん中ページに全てを挟み込んで完了。

この日は、最後に挟み込む役を私が引き受けることに。
とはいえ、高崎市発行のちらしを、ちらし群の一番下に加えてから、
プログラムに閉じ(綴じ?)込むわけなのです。
隣の方からちらし群を受け取り、テキパキとこなさねばなりません。

ぼやぼやしていると、どんどん、ちらし群が私の前に積まれてしまいます。
私、結構好きなんですよね、この作業。
なぜ好きかというと、目に見えて成果がわかりますし、
(出来上がったプログラムが目の前に高々と積み上げられてゆきます)
あと何といっても、作業を終えたあとが、実に良い解放感に浸れるからです。

それに、隣の奴との競り合いも面白い。
今回隣だった奴は、要領が悪く、ちょっとつまらなかった。
しょっちゅう、ちらしを床に落として撒いていたし。

素早く自分の作業をして、手を出して奴からちらし群を渡されるのを待つ。
手を出すと、催促するようでプレッシャーかかりますよね。
この日の隣の奴の手許が狂っていたのは、私のせいだね、やはり。

今宵の群響合唱団の出し物は、
イギリスの作曲家ウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」。

作業をしながらも、リハーサルの様子が漏れ聞こえてきます。
休憩時間に、その様子を少しだけ見学させてもらいました。
私は、この曲自体を知らなかったのですが、
どうやらバビロン補囚をテーマにしているようでして、
歌詩はあくまでも英語主体で、合唱団もさぞかし難儀したのではと想像します。

オケも合唱団も、当然ながらみんな普段着。
指揮者は外人でかなり若造のように見えます。
目の前の金管の咆吼や合唱による絶叫に心を奪われながらも、作業に戻らねば!

さて、この限られた短時間でのちらし挟み込みに注ぐ集中力は、
自分でもすさまじい気がします。
(普段の仕事でも、その力を発揮しろよな・・・汗)

いつも作業が終わると、「燃えたよ、真っ白に燃え尽きた~」と、
心の中で呟きながら帰路につくわけで・・・あはは。

でも、お客さん全員がちらしを見てくれるわけでもなく。
大半はゴミ箱直行なのかも。
でも、チラッとでも、ちらしを見てくれるお客さんのために、
今回も頑張りましたよー。

 


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 Posted by at 23:58

能をつかんとする人

 文化・芸術, 日記・コラム・つぶやき, 音楽論  能をつかんとする人 はコメントを受け付けていません
2月 122010
 

当団では年間の活動計画を練るに当たり、 本番機会をどのように配置するかが当然ポイントとなるのだが、
その考え方として、かつて、二つの大きな流れが存在した。

一つは、我々の練度が十分高まり、諸々準備万端整ってから本番を迎え、
我々にとっての満足感をまず最大化することが、お客様にとっても同じ効果を及ぼすという考え方。
この場合、本番はほぼ自前演奏会のみに注力することとなる。

これに対し、団員のモチベーションを維持するためにも、適切なインターバルで本番機会を設け続け、
最終目標である自前演奏会に誘導することで、お客様と我々にとって充足できる演奏を目指すという考え方。

この二つの流れは強く対立して摩擦が生ずるということもなく、いつの間にか後者に収斂したのだ。
あたかも大河が、支流を合わせてゆくかのように。

以下、有名な吉田兼好の「徒然草」の一節から。

能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそいと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人一芸も習ひ得ることなし。 未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。 天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

簡単に口語訳をつけると、
芸を身につけようとする人が、 「上手くないうちは、なまじ知られないように内々で十分習ってから、
人前に出ようというのは奥ゆかしい」 とよく言うが、そんな風に言う人で芸を会得できる人はいない。

まだ、まったく未熟なうちから、上手な人にまじって、けなされたり笑われても、 恥ずかしがらず、さりげなくやり過ごせる・・・
そんな人は、 才能がなくともサボらず、いい加減にせずして、年を重ねてゆけば、 才能があっても努力しない人より、
やがては名人の境地に達し、 芸の格も上がり世間から一流と認められ、名声を博する のだ。

天下のその道の名人といえど、最初は、未熟と酷評され、ひどい欠点があるものだ。
でも、その人が、その道の掟を正しく守り、放埒なことをしなければ、 世の中の師匠たるべき人となることは、どの道でも同じである。

・・・とまぁ、そんな意味になります。

「徒然草」に書いてあれば即ちこれ真理であるとは限らないが、
大河に支川が合流するのは必然であったのかなぁと、なぜか今頃感慨に耽るのであった。

こんな事を書くと、何を大袈裟な・・・と笑われるかも知れないが、
今一度、わが前橋男声合唱団の来し方を振り返るに、 名声などとは全くほど遠い状況ではあるが、
まんざら方向だけは間違っていないのではないかと、 当代随一のエッセイを斜め読みして、心を強くした次第である。

 


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 Posted by at 21:57

文化芸術予算復活へ!

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12月 262009
 

先日、事業仕分けによるつまらぬ費用対効果という一律的な物差しによる事業評価で、
文化芸術予算が危機に立たされているというエントリを起こしたが、
昨日閣議決定された平成22年度政府予算案によれば、これらの論調が消え失せ、
文教・科学振興費全体としては、5.2%増という復活ぶりだ。

まだ、本稿作成時点で、文部科学省には資料がアップされていないので、詳細は不明だが、
興味のある方は財務省ホームページを覗いて欲しい。
今ならトピックスから、後日なら報道資料から予算の政府案が読めるだろう。

本来、私の本職ではもちっと違う省の予算を扱っているだが、そっちは激減!

昨日は、夕刻に総理の記者会見が始まる前からこれらの情報をあらゆる手段を用いて入手、
その省の予算分析を進めていたのと同時に文化芸術予算の動向にも注意していたが、
事態が好転してこれ以上のことはない。

「圧倒的圧縮」を求めた行政刷新会議(事業仕分け)に比べ、
政府(主に財務省)はよくわかっている!とまずは評価したい。
芸術文化振興に関する予算はほぼ要求通りと言って良い。

小澤征爾をはじめとした音楽界、そして映画界や梨園の重鎮達がこぞって抗議していたし、
やはり、きちんと行動として意義を申し述べるべきなのですね。
阿吽の呼吸など、もう古い手法なのかも知れません。

事業仕分けの騒ぎは何だったんだろうという感が強いが、
おかげで、検討プロセスをはじめ、責任官庁のプレゼンテーション力不足や、
あの議員この人物がトンチンカンな野郎であることなどが白日の下に晒されたのだから、
意義はなくはないか。

我々のような地方の弱小合唱団に過ぎない身にとっても、
芸術文化予算が削られれば、地方オケはおろか、いろんな文化施設だって経営が立ちゆかなくなる。
そこを練習場として借りている我々にだって影響は及んでくるはずだ

あとねぇ、最後に一つ。
仕分け人のオジサンの中に、文化芸術など、地方に任せておけばよい!などとのたまう人がいましたけど、
八年前に制定された文化芸術振興基本法(平成十三年十二月七日法律第百四十八号)を一部掲げます。
国や地方の責務や、国民の理解などなど、ちゃんと書いてありますので。


(国の責務)
第三条 国は、前条の基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、文化芸術の振興に関する施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。

(地方公共団体の責務)
第四条 地方公共団体は、基本理念にのっとり、文化芸術の振興に関し、国との連携を図りつつ、自主的かつ主体的に、その地域の特性に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する。

(国民の関心及び理解)
第五条 国は、現在及び将来の世代にわたって人々が文化芸術を創造し、享受することができるとともに、文化芸術が将来にわたって発展するよう、国民の文化芸術に対する関心及び理解を深めるように努めなければならない。

(法制上の措置等)
第六条 政府は、文化芸術の振興に関する施策を実施するため必要な法制上又は財政上の措置その他の措置を講じなければならない。

鳩山さん、他の所じゃいろいろヘマしてるみたいだけど、(←それもちゃんとして下さい)
芸術文化の振興について、くれぐれもよろしくお願いしますよ。

 


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 Posted by at 22:03

事業仕分けで文化芸術予算削減へ ←芸術がわからぬ政治家を総選挙で勝たせてしまったのは誰?

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12月 072009
 

【記事引用】<事業仕分け>

日本オーケストラ連盟など抗議 交流予算の縮減で

読売新聞(2009.12.7 13:51)

政府の行政刷新会議が、事業仕分けで芸術家の国際交流の予算要求の縮減が妥当などと判定したことに対し、日本オーケストラ連盟などが7日、抗議を表明した。指揮者の尾高忠明さんや外山雄三さん、作曲家の三枝成彰さん、ピアニストの中村紘子さんらが東京・丸の内の東京国際フォーラムで記者会見を開いた。

事業仕分けでは、日本芸術文化振興会や芸術家の国際交流の予算要求の縮減が妥当と判定され、伝統文化子ども教室事業、学校への芸術家派遣、コミュニケーション教育拠点形成事業は国の事業として行わないと判定された。日本オーケストラ連盟と日本演奏連盟、日本クラシック音楽事業協会などは、芸術の質の低下は避けられず、豊かな人づくり、社会づくり、国づくりの沈滞、国際社会におけるわが国の地位低下を招くとして再考を求めている。

事業仕分けをめぐっては科学技術予算にも削減や見直しが相次いだことから、ノーベル賞受賞者らが11月25日に記者会見を開いて抗議。また、スポーツ予算の縮減が妥当と判定したことを受け、日本オリンピック委員会(JOC)は1日、フェンシングの太田雄貴選手など五輪メダリストらを集め東京都内で抗議の記者会見を開いた。

—————————————————————————————

先月から、いわゆる「事業仕分け」が行われ、その仕分けの手法やプロセス、そして報道ぶり等、
私自身眉をひそめながら見守ってきましたが、どうやらここにきて、
直接的、間接的に関係する団体や個人などから抗議が相次いでいます。

小団も、この平成21年度に助成を受けてお世話になった、
独立行政法人「日本芸術文化振興会」関連の事業仕分けの件です。

ここに仕分け時の評価コメントが載っている。ぜひ一読してみてください。
こんな事を平気でのたまう奴らが、今の日本の政治を仕切っているのです。
そうさせたのは、この八月の総選挙で大いに民主党を勝たせた我々国民ではあるのですが。

僭越ながら、更にそれに私がコメントを加えればですね、幼稚の一言です。
それに論理が飛躍しすぎている。
おまえら、それで政治の要諦を肝に銘じた政治家かと。

もちろん、政治の運営は、ときの経済状況に大きく影響されるので、
時勢に応じての増減は十分あり得る話ですが、今回の事業仕分けはそういう次元の話ではなく、
予算の「圧倒的圧縮」と「地方自治体での実施」と結論づけているのです。

この独立行政法人からは、前橋男声合唱団のような数十万円単位ではなく、
億単位の助成を受けてようやく経営されている芸術団体が数多くある。
その代表格が、我らが地元の群馬交響楽団に代表されるような地方オーケストラである。

今回の仕分けはまだ最終的な実施が決まったというわけではないのですが、
地方財政も這々の体で、地方オケをかろうじて支えているに過ぎません。
今でさえ財政難にあえいでいる地方オケを、真綿でぐいぐい締め付けるようなものです。

合唱も決して無縁ではないと思っていますが、全日本合唱連盟は何か声明を出すでしょうか。
今後も注目していたいと思います。

さて、上記でリンクを張らしていただいているが、
その評価コメントの中に次のような発言をした者がいるらしい。

『国が補助するというのは知識不足。
そもそも文 化振興は国の責務か、民間中心で行うか、議論が必要。  』

芸術文化事業が全て民間・・・すなわち商業ベースで展開すべきか議論が必要と言っています。
この者こそ知識不足なのではないでしょうか。
費用対効果という物差しでは、芸術や文化は測れるわけがありません。

とかくに住みにくい人の世を束の間でも住みよくするために、芸術は必要です。
これは、真理です。
古今東西、時の為政者は、必ず芸術に一定の庇護を与えてこれを容認しました。

昨年も、鼻息の荒い大阪府の橋下知事が、在阪のオケをつぶそうとしたことがありましたが、
そういう芸術に教養のない人間が増えてきている気がしてなりません。
だとすれば、実にゆゆしき問題です。

今日の記事の結びに、夏目漱石の「草枕」から、有名な冒頭部分を引用しておきたいと思います。

————————————————————————————
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)ができる。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越すことならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有(ありがた)い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。

(以下略)

 


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 Posted by at 23:43
@Mae_Dan