詩画作家の星野富弘さん死去 78歳 手足の自由失い、口に筆をくわえ創作
〜上毛新聞〜 公開:14:55
群馬県みどり市出身の詩画作家、星野富弘さん=桐生市=が28日、死去した。78歳。手足の自由を失いながら、口に絵筆をくわえて詩画を描いた。四季の草花を題材とした絵に、命や人生、母子の絆などへの思いを添えた作品を多く生み出し、人々の感動を呼んだ。
星野さんは1946年、旧勢多東村(現みどり市)生まれ。群馬大教育学部体育科卒。中学校教諭になるが、70年にクラブ活動の指導中の事故で頸髄を損傷。入院中に口に筆をくわえて文や絵を書き始めた。79年に初の作品展を前橋市で開催。退院後は精力的に創作活動を展開した。91年に故郷に富弘美術館が開館。2006年に名誉県民の称号を贈られた。
報道によれば、群馬県の代表的な詩人であり画家の星野富弘さんが亡くなった。
私共前橋男声合唱団にとっても、縁のある尊敬すべき芸術家のお一人であった。群馬県の名誉県民でもあった。まさしく群馬県にとって大きな損失であろう。
もう10年近く前になるが、2014年に盟友合唱団である「ふじなみ・コーラス」との交歓演奏会、そして翌2015年の小団第8回演奏会において組曲「花に寄せて」を演奏する機会に恵まれた。氏の深い詩をあれこれと議論しながら勝手に解釈していたものだが、今思えばきっとそれは相当的外れなものであったのではなかったかと、以来10も歳を重ねてみて振り返っている。またその際、星野先生の作品を画像として演奏会パンフレットに掲載が可能かどうか問い合わせたところ、快諾してくださったことを思い出しているところでもある。
あと、もう一曲忘れられない曲がある。それは「今日もひとつ」である。ご存知、星野先生の詩に、なかにしあかね先生が曲を付けた作品。2019年の第63回群馬県合唱祭で演奏機会を得、たまたま講師でお見えになっていた、なかにし先生にお褒めいただき、ご自身のYouTubeチャンネルに私共の当時の演奏を追加してくださったこともあった。
星野富弘さんは、1946年(昭和21年)に旧群馬県勢多郡東村(現群馬県みどり市)に生まれ、1970年(昭和45年) に群馬大学を卒業後、体育教師として中学校に赴任する。クラブ活動の指導中に頸髄を損傷し、首から下の自由を失う。それから2年後、入院中に口に筆をくわえて、文や絵を書き始める。中でも花や木などの植物を題材にした詩画の作品が多く目立つ。1974年(昭和49年)にはキリスト教の洗礼を受け、1981年(昭和56年)には結婚し、著書「愛、深き淵より。」を発表、大きな反響を呼んだ。これまで、詩画や随筆の創作活動を盛んに行ってきていた。
また近年、合唱曲のテキストとして取り上げられることも多く、合唱関係者からの評価も高かった。 星野氏は体育教師として、「運動」に自分の人生を賭けていたに違いない。それが不慮の事故で身体を動かせなくなるとは…。腐ってふさぎこんで、癇癪も起こしただろう。自らの立ち位置の劇的な変化後、やがて日常の自然や花を題材に、口で詩画を描き始めるのだ。なんという精神力!!もし、合唱しか能のない筆者が、声帯を失うようなことがあったら…。いや、きっと比較の対象にさえならないのかも知れない。星野氏の見た“深き淵”というものに、今の私は畏怖するくらいしか術を知らないから。
組曲「花に寄せて」は、1985年(昭和60年)に混声版として初演され、続いて女声・男声版へと改編されるにあたり、合唱人口に膾炙(かいしゃ)するまさに定番の一曲となっている。温かみのある星野氏の詩に、 明るく溌剌としたメロディラインを新実氏が与えている。それは、闘病生活中に見いだした様々な想いを花々に託し、筆を口にくわえて絵とともに綴った詩人の生き様を、キラキラ輝くほどの透明感を持った曲によって、我々に深い感動と共に生きる希望と勇気を与えてくれる。そして、我々にももちろん、同様な当たり前の日常のシーンがある。この組曲がその場面一つ一つを花のある風景に変えてくれるのだ。数々の日常の風景が静かに流れゆく中、「当たり前」について深く考えさせられる一曲であった。
あらためて、衷心より哀悼の意を表したいと思います。
(上記斜字部分は、5月1日加筆)
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