2月 122010
 

当団では年間の活動計画を練るに当たり、 本番機会をどのように配置するかが当然ポイントとなるのだが、
その考え方として、かつて、二つの大きな流れが存在した。

一つは、我々の練度が十分高まり、諸々準備万端整ってから本番を迎え、
我々にとっての満足感をまず最大化することが、お客様にとっても同じ効果を及ぼすという考え方。
この場合、本番はほぼ自前演奏会のみに注力することとなる。

これに対し、団員のモチベーションを維持するためにも、適切なインターバルで本番機会を設け続け、
最終目標である自前演奏会に誘導することで、お客様と我々にとって充足できる演奏を目指すという考え方。

この二つの流れは強く対立して摩擦が生ずるということもなく、いつの間にか後者に収斂したのだ。
あたかも大河が、支流を合わせてゆくかのように。

以下、有名な吉田兼好の「徒然草」の一節から。

能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそいと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人一芸も習ひ得ることなし。 未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。 天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

簡単に口語訳をつけると、
芸を身につけようとする人が、 「上手くないうちは、なまじ知られないように内々で十分習ってから、
人前に出ようというのは奥ゆかしい」 とよく言うが、そんな風に言う人で芸を会得できる人はいない。

まだ、まったく未熟なうちから、上手な人にまじって、けなされたり笑われても、 恥ずかしがらず、さりげなくやり過ごせる・・・
そんな人は、 才能がなくともサボらず、いい加減にせずして、年を重ねてゆけば、 才能があっても努力しない人より、
やがては名人の境地に達し、 芸の格も上がり世間から一流と認められ、名声を博する のだ。

天下のその道の名人といえど、最初は、未熟と酷評され、ひどい欠点があるものだ。
でも、その人が、その道の掟を正しく守り、放埒なことをしなければ、 世の中の師匠たるべき人となることは、どの道でも同じである。

・・・とまぁ、そんな意味になります。

「徒然草」に書いてあれば即ちこれ真理であるとは限らないが、
大河に支川が合流するのは必然であったのかなぁと、なぜか今頃感慨に耽るのであった。

こんな事を書くと、何を大袈裟な・・・と笑われるかも知れないが、
今一度、わが前橋男声合唱団の来し方を振り返るに、 名声などとは全くほど遠い状況ではあるが、
まんざら方向だけは間違っていないのではないかと、 当代随一のエッセイを斜め読みして、心を強くした次第である。

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 Posted by at 21:57

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