そして第3部。フィナーレはお待ちかねのマーチングだ。 最近は、小学校の鼓笛隊も、マーチングバンドとして再編成されつつあるほどに、中学~高校吹奏楽ではメジャーになって久しい。
近年は全国マーチングコンテストでも常勝農二の名をほしいままにし、今年の全国マーチングコンテストでは惜しくも銀賞に泣いたが、その実績は、全国に轟いている。ただ、吹奏楽コンクールでは、群馬代表は確実ながらも、西関東で苦戦気味であるようだ。
我々前橋男声合唱団にとっても、過去には冬季国体で共演するなど、間接的に接点をもち、 彼らの優れた演奏・演出を実際に耳に目にしてきている。
本来、アリーナ系の会場では、スペースも十分で、マーチングは本領を発揮するが、 ここ手狭な音楽センターでは、どうしても表現が限定的となるのはやむを得ないところか。
数々の映画音楽のテーマ曲群に合わせて、 様々な照明・メンバーの動きが絶えず面前に変転流転し、一定の音楽がそこにとどまることを知らない。
この音響空間には常に作られた刺激が存在し、その刺激が更なる刺激を求めるというのか。
ステージの花形、ドラムメジャーによる統制のもと、 規律の行き届いた集団芸術が、時にはエネルギッシュに、時には粛々と繰り広げられる。
一方の花形、女子カラーガードの優美で力強い演技は、否応なく会場の昂揚感を高めてゆく。
中押しには、ウェストサイドストーリーという名作ミュージカルの有名場面が、 本格的なアクションを交えながら再現されてゆき、年輩層も思わず引き込まれ溜息を漏らす。
ライトなブラスの響きに乗せ、ステージ上で踊り歌うヒーロー達とヒロイン達。若さという、美しくも脆いもの…。私もこの年になって、その特質を思い起こされ、深く嘆息するのみであった。
そして、日本人に親しみやすいメロディーを生みだしただろう名作曲家の作品群を、 吹奏楽アレンジでメドレー化した「マーチング・チャイコフスキー」で演奏会は、大輪の花火のごとく大団円を迎えたのだった。
アンコールの後、観客はこの演奏会のもう一つの意味を知らされることになる。それは、卒団する三年生にとっての最後の演奏機会であるという側面だ。
一、二年生の演奏の中、指揮者の樋口先生からフルネームを呼ばれると、一人一人が上手から入場し、センターステージで時には個性的なパフォーマンスを交えながら、客席側に一礼して下手にはけてゆく。 三年間の様々な思い出が去来するのだろうなぁ。
一人、そしてまた一人…。 演奏しながら今にも泣き出しそうな団員達。 客席からも、すすり泣きが聞こえてくる。三度目の最終公演では、みんな泣くのだろうな…。
そして、幕が下がり終演。この時点で15時を過ぎている。満腹である。 もう少々純吹奏楽的な演奏に時間を割いて欲しかったのは筆者だけだろうか。
そうすれば、演奏会自体、奥行きがあって多面的で陰翳の濃いものになったのではないか。吹奏楽という音楽を通して、高校生達の純粋でフレッシュな生き様を目にして心が洗われた後は、 すぐに現実的な俗世間に引き戻される。
特に、群馬音楽センターに人気のある演奏会を聴きに行く場合、 多少の混雑や少々の不満は自己のうちで消化する覚悟で来場するほかないのだ。
筆者は1990年代前半から、10年近く群響の定期会員であったので、 群馬音楽センターの長所短所を知り尽くしているつもりだ。
今更、短所を列挙してクレーマーを気取っても仕方ないのでやめておくが、 残念ながら、いろんな場面で我慢を強いられる、そういう会場なのである。
今回は初めて小学生の子供を連れての来場となったため、 二階ロビーの手すりの高さが低すぎて転落の危険性が大である等、更に改善して欲しい点が増えてしまった。
新芸術文化ホールの建設の是非を含め、高崎市の文化芸術論議の行方を、見守っていきたいと思うが、早期に決着しないと、一番被害を受けるのは、前途有望で感受性豊かな高校生達である。 結論が妙な所にたどり着いてしまったが、強くそう思っている。
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