2010年4月24日(土)通常練習

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4月 302010
 

■場所 群馬県生涯学習センター(音楽スタジオ)
■出席人数21名(T1:4 T:5 B1:5 B2:7)出席率78%

■練習内容
(1)発声練習
先回エントリまでに、いろいろ厳しいことを記述してきたが、もちろん、原則論である。
当然、この原則論を後退させるつもりはないが、現実をどうこの原則論に近づけてゆくか。
要は、具体的にどうするかが重要である。

具体的な手法を考える事をせずして、原則論のみを振りかざすだけでは、思考停止に等しい。
そういう場面世の中の随所に見られる 現象であるが、それでは生産的と言えないだろう。

とにかく、鍵は団員にあり。
団員に始まり団員に帰結するのみ。
モチベーションは、 団員こそがコントロールしているものだから。

とはいえ、モチベーションを維持するのが難しいのも承知している。
団員の共有時間の最大化をたびたび訴えてきているが、 それは単に練習時間の最大化を意味してはいない。
文字通りの「共有時間」である。
団員相互の理解を図れる場も同様に共有時間と定義されるべきだ。

ハーモニーの基礎部分の、更にこの枢要部をどのように扱うか。
そこは堅牢であり、かつナイーブな部分である。
今、団員の真価が問われようとしているのだと思う。

(2)パー練

(3)アンサンブル
引き続き、「雪と花火」から。
先回は終曲の「花火」を重点的に練習したので、今回は他の三曲に焦点が移る。

一曲目の「片恋」。
現在、小団テノール2パートが猛練習中である。(下の画像参照)

あかしやの金と赤とがちるぞえな・・・ かつて取り組んだ「草野心平の詩から」を思い出すなぁ。
あん時も、ベース系の掛け合いがずいぶん鍛えられたものだった。
組曲の冒頭というものは、いろんな意味で重要だしねぇ。

茫々の平野くだりて・・・ ベースの第一声が組曲全体の方向性を決めてしまうようなプレッシャー。
広漠とした大地の、遙か地平の果てから響みが聴こえてくるような・・・。 そんな歌い出しだったろうか。

とはいえ、草野心平と北原白秋じゃ、世界が全く違う。
Google Earthで、ズームアウトした場合とズームアップした場合に似てるかも。

パートは違えど、あの時の団としての経験が今回に生かされれば良いと思う。
それには、団員が男声合唱を続けていることが重要であるけれども、
指揮者の一貫した音楽観のもとに、面子が必ずしも完全一致せずとも、
同質な団員の不断の努力があれば、それは可能であると信ずる。

さても、こういう過程(悪く言えば混沌とした状態)というものは、
音楽を創る作業の中でも、厳しいながらも誠に興味深い時間である。

後世振り返れば、あの時がターニングポイントだったと述懐するかも知れぬ。
時に、テノールに対するやや辛辣とも言える指揮者からの指摘があるが、
一般にそれを表層的に受け止めてヘコむ一方なのは、いささかひ弱ではないか。
それが端的に顕れるのは、まさに練習中だ。

ここで求められるのは「では、具体的にどうするか」であるにもかかわらず、
今のところ、我々の次善の策は、怖気付いて音量を下げることのみだ。
時に、練習時間の雰囲気に若干翳りが生じる場合さえある。

音楽的な訓練において、まま生ずる、このような屈折した雰囲気・・・。
このようなハードな部分は、水面下の白鳥の水かきのように付き物である。

私はそういう場合、(不発の場合も多々あるが・・・汗) 茶々を入れたりして、
練習の雰囲気を好転させようとしたものだが、 最近はこれを敢えてしないようにしている。

なぜなら、音楽的に深く思慮する契機を奪うことになるのではと危惧するからだ。
指揮者の指摘事項から目を逸らすようなやり方は、
いくら団内環境を良好に保つためとはいえ、主旨を違えていると思うからだ。

またまた上から目線の物言いであるけれども、
ここでも「具体的にどうするか」が求められているのである。

思考停止することなく、一枚だけでなく、もっと切るべきカードを持つべきだ。
今後のパート練習で重点的に練習すべきだとか、 別途みんなで集まって臨時パート練習をするとか。

パートリーダーがいるとかいないとかの問題ではない。
そして、更にそれを実現するためには「具体的に何をすべきか」。
結局は、この思考の連続なのだろう。

それからもう一つ。
指揮者の「口撃」の真意を汲み取る力や術をもっと身につけよう。
それは、何も声楽的な技術の優劣とあまり関係の薄い資質である。

然らば、ある程度の指揮者からの譲歩というものは必要なのだろうか。
私見ながら、それは原則として必要ないものと思う。

指導者の資質というものが大きいが、 集団の前でのテクニック論というものが存在するのは事実であり、
それを指揮者が実践してくれることには異論はない。

ただ、空虚な誉めそやしなどは要らぬ。
燦然とそびえる秀峰を、我々に対して明確に示し続けてくれることで十分だ。

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■連絡事項

(事務局より)
・GWはゆっくり休んで英気を養おう。
・次回練習は5月8日。練習場所は生涯学習センター。

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2010年4月17日(土)通常練習

 練習日誌  2010年4月17日(土)通常練習 はコメントを受け付けていません
4月 242010
 

練習日誌リスタートとなった。
2月27日の練習から6回分の練習をすっ飛ばしているが、フォローはおいおい行ってゆきたいと思う。

■場所 前橋中央公民館(46スタジオ)

■出席人数21名(T1:4 T:5 B1:6 B2:6) 出席率81%

■練習内容

(1)発声練習

発声については先回のエントリで記したとおりであるが、 最近は参加者も固定化されてしまっている。
しかし、団全体としては、お世辞にも効率の良い練習とは言えまい。

「様々な知恵をこらして少しずつ進んでいければいい」などと言葉にするのは簡単である。
では、実際にどうすれば良いのだろう。
時間を繰り下げて、19時開始にすればいいのか、20時開始にすればいいのか。

そして、開始時刻を遅らせた分、練習回数を増やすのか等々、
練習システム等、運営の根幹に関わってくる問題になりかねない。

そもそも、現練習体制は、2008年1月12日の臨時団員総会が端緒となっている。
それまで三年半以上のインターバルで行ってきた自前演奏会を、もっと頻度を上げて開催できないか。
そういう団員の総意を受けて、それまで変則隔週で行ってきた練習を、原則毎週土曜日に変更したのだ。

このような典型的な総論賛成各論反対というテーマに関し、当時、多忙な団員からは異論が出たが、
それまでの団員の行動パタンとして、「休むときは結局休む」ということもあり、
それならば、少しでも練習を入れて進んだ方が良いということになったわけだ。

であるからして、発声練習時間におけるまばらな出席状況は、ある程度致し方ないことであろう。
事務局はそれを覚悟の上で 練習頻度を高めたのだから。
実際には、大きな主目的はもっと別の次元にあったのだ。

それは、団員の意識改革である。
自発的意思で、自己改革が図られ、参加率が高まること・・・。
そして、(甚だお節介であろうが)音楽との関わりが豊かになることで、
普段の生活にも余裕が出るのではないかと期待したのである。

現在のところ、その期待が叶えられたとは言い難い状況が続くが、今後の推移を見守りたい。
とはいえ、旧練習体制と比べて練習頻度が増える中、出席率がさほど変わらないのであるから、
そこそこの成果を手応えは間違いなく感じてはいる。それもまた事実である。

ここ何年もの間。ただの一度も全員集合できない団が、発声練習から集まらんかい!
などと、果たして高望みもいいところなのかもしれないが。

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  (2) パート練習 
(3)アンサンブル

本日は「雪と花火」より終曲「花火」の一曲に特化して練習した。

テナー系のパー練がこの一曲だけだったというのが原因かも知れないが。

 

この日のアンサンブル。結果から言えば、最近になく濃い時間であったろう。

この誌面では全く表現しがたいことを最初に断っておきたい。

 

冒頭のベース系に付されている休符など、深い意味を感じる。

なぜに、1拍目からではなく、休符なのか。

 

直後の音符には一々アクセントが表記され、私を含めて単細胞なB系諸君、

ついつい一本調子で歌って、予定通り指揮者にコツンをもらうのはご愛嬌。

 

そして重要な主題部。

Bass先行の嬰へ音に乗って、色彩感豊かな和音の流れが織りなされる。

どうしても、単パートとして裸になる部分は、指揮者の格好の餌食。

 

でも、この日のBassはパー練での備えもあり、なかなかの出来。

発声練習時から心がけていた息を多めに混ぜた柔和な響き。

これが意外にも融け合う雰囲気を醸し出し、曲の下ごしらえとなる。

 

Bassの諸君には、どんなことに気をつけて歌ったか、

肝に銘ずることができれば、練習の進捗にも大いに弾みがつこうというもの。

(Bassの早期安定化は、団全体のアンサンブル安定に大きく資する)

 

人間は互いに影響を受けあって生きている。パートもまた然り。

Bassの良さは上三パートにも伝播し、好循環を形作る。

練習時間中のキツイ指摘や苦言ばかりが指揮者の仕事ではない。

 

各人各パートの潜在力を引き出すことこそ、指揮者の実力であり能力だろう。

この日は、パー練で少々耕しておいたという伏線がありながらも、

Bassの変化に卒なく気づいた指揮者が、眠っていた能力を引き出す場に立ち会えて興味深かった。

(他の団員皆さんはどう感じましたか?)

 

組織的練習ができれば、成果はついてくる。

(厳密に言えば、「成果が出る確率が高まる」)

しかし、組織的練習ができなければ、間違いなく成果は出ない。

 

また、昔いたメンバーの中に、

「アマチュアなんだからそんなに練習しなくても」

と渋る輩がいたが、アマチュアリズムをカサに着た、質の悪い物言いだ。

『お前、練習がしたくないだけだろ』と。

 

アマチュアのくせして演奏会開いて、人様に合唱聴かせようってんだから、

プロ以上の訓練が必要だぜ。

それくらいに思っていてちょうど良いのではないですかね?

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■事務連絡

・次回練習は4月24日(土)。場所は生涯学習センター(お間違いなく!)

 

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発声について思うこと(2)

 合唱組織論, 日記・コラム・つぶやき, 発声, 音楽論  発声について思うこと(2) はコメントを受け付けていません
4月 222010
 

前回の続きです。

アンサンブルの時間はもちろん、発声練習に出ないということは、 客観的事実として団にとっても個人にとっても「損害である」と書きました。

「損害」たぁ刺激的な単語だよねぇ! おそらくこう書くと、最近仕事が忙しくて練習を欠席しがちだった人の中には、 「あぁオレのことを指摘してんのかな・・・」などと凹んでしまう方がいらっしゃるかも知れませんね。 それに、である調で上から目線での論調だと、余計にそんな気分になるかも知れません。

トドメを刺すようですが、どう考えても「損害」です。

ただ、個人的に具体の誰々を想定して話をしているのではないのです。 私は言いたいことがあるときは、わざわざブログを使ってなど、手の込んだ真似はしません。 必要であれば、ご本人に堂々と申し上げますので。(お覚悟を!?)

同じアマチュアでも、オーケストラに比べて合唱団員というものは、 練習に遅刻や欠席したりしても、無頓着なところがあるのかなぁという気がしています。 これには、いろいろ原因があるとは思いますが、 オケであれば楽器による役割分担は明確ですが、 合唱団では、自分がいかに重要な役割を担っているかの意識が、 どうしても希薄になってしまいがちというのが大きいのだと思っています。

「オレ一人くらいいなくても大丈夫だろう・・・」『いいえ、大丈夫ではありません。あなた一人がいないだけで合唱になりません。』

あなたは補欠ではありません! 野球やサッカーのように、明確なレギュラーメンバー制度が合唱にはありません。 合唱ではメンバー全員がレギュラーメンバーなのですから。(うわ、歯の浮くセリフ・・・汗)

それとですね、プロの世界では、練習開始時間に集まれないなどということはあり得ない。 有料無料を問わず、演奏会を目指し、その場で自分たちの音楽を披瀝しようとする限り、 アマチュアだからと言っても、プロ意識は必要なのだと思います。

ある団員は、遅刻する際は、車中で(もちろん自家用車)、 ひととおり自主的な声出しをしてから来るのだそうな。

毎回の練習で欠かさず、練習場を早めに開けてくれる団長、 そして練習後、丹念に会場の掃除に勤しむ若手諸君。 これらも一つのプロ意識の表れであると、私なんかは受け取っている次第。

さて、結局のところ、お仕事やご家庭の都合で欠席したり遅刻したりすることは、 最終的にはやむを得ない・・・そういうことになるでしょう。

ただ、このまま自分を変えられないまま同じ状態が続くということは、団の活動だけでなく、 団への帰属意識や合唱に対する姿勢そのものも、中途半端な状況が放置されることになり、 それはやがて自らの人生やら生き様というものに投影されることになるのではないでしょうか。

まぁ、人生いろいろですので、それで良いと仰る方は仕方ありませんが、 やればできそうな方が多いので、実に勿体ないことだと思います。

気がついたときに、ようやく合唱と正面から向きあっても、 もしかしたら、体力的に衰えていてしまって、心から悔しい思いをするのではないか・・・。 個人的にですが、私はそれを極度に恐れているのです。 (こんなことを考える事自体、若造である所以なのかも知れませんが。)

いっそのこと、それもまた人生・・・と達観できれば 良いのにと思います。 表題に反して、発声の話はほとんど致しませんでしたが、 今後もみんなで知恵を出し合ったり、様々な工夫を凝らしながら、 穏やかに少しずつ進んで行けたらと思います。

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発声について思うこと

 合唱組織論, 発声, 音楽論  発声について思うこと はコメントを受け付けていません
4月 182010
 

最近、発声について懸念することがある。それは、発声練習の時間への参加率の低さである。 年度末と年度初めの多忙も重なる中、普段から仕事に飛び回る団員諸兄にとって、 過酷な要求であることは重々承知の上で敢えて記す。

発声を磨かなければ明日はない。

前橋男声合唱団は、特定の大学や高校のOB合唱団ではないから、 発声技術について常に改革しようとする気概を持ち続けることが、 少なくとも、現在の中曽根指揮者のもとでは、必要であると感じている。 特に経験者にそれが求められることは論を待たない。

もちろん、仮にどこぞのOB合唱団であれば、 かつて同じ釜の飯を食った仲間たちと、久しぶりに歌う機会を得ても、 過去の共有時間の膨大さという財産のもとに、固有のトーンを演奏中に匂わせることが可能だろう。 (ただ、真の意味で合わせるとなると、当然相当な困難が伴うだろう)

だから、OB合唱団が発声の改革を志向することで、 却ってその固有のトーンらしきものを乱すことにつながると本能的に考えるのだろうか、 声自慢とか、声の張り合いとか、とにかく声そのものか、声を出すこと自体に重心をおきがちで、 発声技術の改革やら向上というものに、さして関心を払わないところが多いように感じる。

とはいえ、大変厄介なことに、発声練習に毎回参加したからといって、 すぐに個人的な歌唱力がアップするとか、合唱団としてのアンサンブル力に違いが出るとか、 必ずしも技術的な上達が約束されるわけでもなく、 ともすると、まことに退屈で、場合によっては自分の非力さを思い知る時間でもあるのだ。

ただ、団員個人が退屈かどうかは、団員それぞれの持つ価値観や、発声指導者の資質や話術、問題把握力などに大きな相関があり、本質的な問題ではない。 むしろ、その時間を忌避して、アンサンブルの時間だけで適当に過ごせれば良いと考えてしまうのも、 人間の自己防衛的な生理反応としては、ごくごく自然な現象であるのかも知れない。

しかし、敢えて発声練習の時間を忌避するならば、それは長期的に見て、 個人としては無論であるが、団としても大きな損害であるということを強く指摘しておきたい。

言葉は悪いが、「損害」は紛れもない客観的事実である。 なぜなら、素人集団の合唱では、共有時間の最大化こそが、団存続の唯一の命脈であるからだ。

確かに、前橋男声の合唱を初めて聴くとき、合唱経験者ならば、 かつての学生時代のトーンの匂いをきっと感知するだろう。 ある人はそれを「郷愁」と呼ぶかも知れない。

それを匂わせているものの、この前橋男声合唱団の練習の方向は、 かつての学生時代の発声を穏健的ながらも全否定するものに他ならぬ。

全国に数多存在するOB合唱団では、世代の断絶が少なからずあるといわれる。 40代以下の大多数が参加しないという現象に見舞われているOB合唱団は実に多い。 総じてこの年代は働き盛りであるから参加が不可能であるという傾向は否めないが、 若手だけのOB合唱団が別に結成されて活動しているケースもままあり、そうも言い切れないと思う。

声楽的な進歩を放棄し、枯れ始めた声のOB合唱団で、かつての先輩連中がOB風を吹かしていては、 既製のOB合唱団に未来を感じられずに、これを避けたくなる心情は確かに理解できるところだ。

しかし、単に比較的若々しい声そのものだけに依拠している限り、 その若手OB合唱団にも明日はないと知るべきだ。 暫くは遺産を食いつぶすことで凌ぐことは可能だろうが、数年も経てば因果応報、 今度は更に新しい若手から避けられ始め、同じ道を辿ることは想像に難くない。

要は、団として発声の改革を持続的に志向できるか・・・。 このことである。

OB合唱団にせよ、我々のような雑多な人種が集まる一般男声合唱団にせよ、 これを克服できない限り、短期的には栄えているように見えても、衰亡は必然なのだろう。少なくとも、私はそう考えている。

発声練習から共有時間の最大化を何ゆえ求めるのか。 練習開始時刻に集まるべしという、体育会系よろしく、ただ闇雲に勤勉さを求めるような、 皮相的なものでは決してない、「思想」に裏打ちされたもの・・・ 今回のエントリで、その一端をご理解いただければこれ以上のことはない。

前橋男声合唱団の、地味であるが遠大なこの試みが一炊の夢と終わるか否か。 結局その鍵は、団員の胸三寸にある。 一団員がいくら広長舌をふるっても、こればかりは如何ともしがたい。

だが、私は立ち向かうだろう。それこそが私の生き様なのであるから。 すべては、団員総意のままに。 私もそれと運命を共にする所存である。

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この一ヶ月のこと

 練習日誌  この一ヶ月のこと はコメントを受け付けていません
4月 172010
 

いやぁ、一ヶ月ぶりの更新となりました。
みなさん、ご無沙汰しております。

更新の停止にも関わらず、連日訪問してくださる多くの方々に対して、
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
もちろん、前橋男声合唱団は、通常通り活動しております。

一応報告しておきますが、転勤とか異動とか、私自身の仕事内容には変化はございません。
また、時間がなかったわけでもありません。

この間、通常練習には皆勤ですし、
年度末の多忙はありましたが、仕事も普通にこなしていました。
それに、寝る間を惜しむほど仕事に精を出していたわけでもありません。

私もこの状況下で、自らの内側に何が起こっているか、よくよく見つめ直してみましたが、
それがどうもわからんのです。 過去のエントリを振り返ってみるに、
昨年十一月の第五回演奏会以降、どうにも筆勢の衰えに隠しきれないものを感じていましたので、
いわゆる「燃え尽き症候群」のような、果たして精神的な疲労を抱えていたのかと、
私にまずあり得ない想像をしてみましたが、その真偽は定かではありませぬ。

ただ、私の内から湧き上がる何かが欠けていたのは確かだと思います。
集中力とでもいいましょうか。 没頭する力といいましょうか。
ブログとて、私は表現の場として考えております。
表現する時に、私が一番拠り所とするものが枯渇してしまっていた・・・
そんな気がしております。

現在は、春の芽吹きとともに力を得て、この記事を起こすに至りました。
これから徐々にですが、またペースをつかんでいけたらいいなと思います。
今後とも、どうぞ前橋男声合唱団ブログをよろしくお願いいたします。

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