(つづき)
続く第二ステージは、早稲グリが一時代を築いていた1983年委嘱初演であるところの、 男声合唱とピアノのための「縄文」。
その後も、定期演奏会や東西四大学合唱演奏会などで何度か演奏を行っており、 作曲者自身の指揮の下、早稲田の特色を訴求するにはまたとない題材であろう。
ステージ上には、さきほどまでのメンバー老壮青のうち、「老」がほぼステージを降りた。 この大曲の真の意味での価値を知る世代が、ステージを請け負ったという形だ。 以前にも荻久保氏作曲の類似曲が、氏自身の指揮によって演奏されたのを聴いたことがある。 その時は、とにかく「はじけろ」という感じで、まさしく氏のやりたい放題。
作曲者であれば、既に世に出た一曲をここまで改変して果たして良いものかと、 その時、大きな抵抗感を持った記憶から、妙な先入観を抱いての鑑賞となってしまった。
元々混声合唱を前提に作曲されたが、早稲グリからの男声合唱改編依頼にあたって、 作曲と同様の作業工程をこなしたことを、パンフ内で氏は述懐している。
太平洋戦争での体験を背景とし、詩人・宗左近の中に眠る、いや日本人の中に内在する縄文人の魂を揺さぶり、 呼び覚まそうとするような(少なくとも当時は)斬新で深遠なテーマ。
演奏は、指揮がオーバーアクション気味なのは相変わらずとしても、気合い充分。 私の偏った先入観とは全く裏腹に、意外にもきわめて内省的・自制的であり、 やがて心の内側をえぐり出そうと苦悩する芸術家の後ろ姿にオーバーラップしてゆく。
ピアニストの前田勝則氏は、近年男声合唱界ではお馴染みになりつつある売れっ子である。前ステージのピアニストとは全く対照的で、ご自分の立ち位置を理解していらっしゃるので、 聴衆の立場からは、まさに安心して聴ける存在だ。
さて、音楽は章を重ねながら、 単純な三次元から多次元に向かって、どす黒く染み出して行くかのようだ。 ましてや決して感傷などに流れず、パンフ内で氏が述べるとおり、 濃厚でドギツイ表現を敢えて避け、時には淡々と抽象の世界を描写し続けようとし、 グリーメン達も、驚異的な集中力を最後まで維持し、ついに歌いきった。
途中、バリトンソロを執った津久井竜一氏は出色。 抑制が効き、私の二階席まで染み入るようなピアニッシモと、 輝かしいほどの高音部のオブリガード。実に練度の高い響きを聴かせてくれた。 この長いソロの後に合唱が合流するのだが、さぞかしプレッシャーであったろう。
このステージを含め、この演奏会にはステージ毎の技術スタッフが置かれている。 「縄文」担当の宍戸誠氏は、終ステで同じ荻久保作品を一曲振ったのだが、 それを耳にした時に、鈍感な私ははたと気づいたのだった。
荻久保氏には申し訳ないが、この「縄文」の力演は、 彼のたゆみない下振りの積み重ねによるところが大きかったのではないかと・・・。 筆者は本演奏会の内情を知る者ではなく、 宍戸氏をOBメンバーズ演奏会で一度聴いたことがあるに過ぎない人間だが、彼の深いアナリーゼには、心から敬意を表したい。
インターミッションを挟んでの第3ステージは、100周年記念ステージと題しての、 ア・ラ・カルト・ステージである。 力を抜いて聴ける気楽なステージであることを聴衆一同願っているところに、 おあつらえ向きというか、主催者側としては、まさに狙い通りのステージ進行となったが、 必ずしもこのような表面的なマネジメントでなく、更に刺激(?)を求める向きにも楽しめるよう、素人玄人(←表現が適当でないかも)共に飽きさせない仕掛けが隠されていたのだ。
NHKアナウンサーの柿沼 郭氏による滑舌が絶品な司会は、耳に心地よく、アナウンサーだから当然とも言えるのだが、 その物腰柔らかなステージマナーと流暢で軽妙な語り口は、かつて濃厚なグリーライフを送り、 早稲田グリークラブを知り尽くしている彼だからこそ出来る業(わざ)である。
指揮者も老若入れ替わり立ち替わり、過去100年の様々なエピソードを振り返りながら、 柿沼アナの絶妙な合いの手によって、リラックスしたムードに場内を満たしてゆく。
小曲の一曲一曲を振り返ることはしないが、 多田武彦氏や既出の荻久保和明氏の作曲による単曲での委嘱初演も取り混ぜ、校歌歌詩ではないが、「進取の精神」の気風を終ステでも忘れていない。
また、タクトを振った指揮者皆様は、グリー在団時は学指揮であり、 これを基点にして、合唱界だけでなく各界で活躍中の方々。 年相応の指揮振り。今更語るまでもないが、背負ってきた人生というものは音楽に出るものである。 それぞれに皆、味がある。
学指揮時代のキレは年を重ねると共に、若さの持つナイフのような鋭利さを若干失いながらも、 その類希な音楽性は、深い洞察と共に地下へ根を下ろしてゆくというのだろうか。
そして後半は、現役グリーメンがステージに参加。総勢250名近くに膨れあがる。大人数の男声合唱は、例年東京六連等で聴くことは可能であるが、 どうしても(失礼ながら)烏合の衆となり果て、音楽もモザイク状となりがちであるが、同じ遺伝子を持つこの二百余名は、それとは異なり、一定のベクトルで共通する。
大げさに言えば、この邂逅こそが奇跡であり、そこに客として立ち会うという体験。 これは何を意味するのか。 事実上のメインであった2ステの成功を最大の原動力に、 演奏会自体の立体的好印象を、深く人々の記憶に焼き付けることに成功した早稲田大学グリークラブ。 演奏会の目的は達して余りあるものだったろう。 彼らの新たなる一世紀を、遥か遠くここ群馬の地から、時間の許す限り、今後も見守ってゆきたい。
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