曲そのものがよければ、その実誰が作曲していたところで、どうでもよいはずなのだが、世間は必ずしもそうではなさそうだ。
誰が作曲したかが問題となっている。なぜ?
ヒット曲など、聴いていいなと思ったときなどは、別に作曲者や作詞者が誰々でなどという先入観は全くないはずだ。そのファーストインプレッションが全てなのだろうに。
音楽にまつわる付帯情報を重視するということか。
逆に、付随するストーリー性や付帯情報をありがたがるから、音楽の本質を見失い、高々、このような俗事で落胆することになるのではないか。
しかし、これを機に、日頃の傾向として、音楽の本質部分を自分が見抜こうとしている人間なのか、確認することができるかもしれない。
例えばもし、当初良いなと感じていたところの「交響曲第一番 HIROSHIMA」を、再度聞き直してみて、今回の作曲者偽装の件が邪魔して、良いと思えないようであれば、普段から、あなたは、付帯情報に振り回される傾向にあるかもしれない。
もし、やはり良いものは良いなと思うのだったら、それはそれでよいのではないだろうか。あとは、どう評価するかであるが、それはあなた次第だろう。
問題なのは、むしろ聴覚障害者詐称の方ではないか。これが事実とすれば、どのような手段で障害者手帳を取得したか等、一刻も早い解明が求められるところだ。
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