12月 062011
 

前回からのつづき)

団にとって一番重要な、立ち上げ直後の五年間に、なぜこのように、簡単に衰退の道を転げ落ちてしまったのか。一言で言えば、合唱団がろくな組立設計図も無しに属人的なイメージだけで造られ、しかもあまりに急ごしらえ過ぎで脆弱かつ杜撰な構造であったからに他ならないのだが、しかし、それを最初から求めることの方がむしろ酷というものだろう。合唱団発足のきっかけなど、古今東西そんなものだろうから。とはいえ、その中心人物の音楽思想や合唱団運営への考え方というものは、意外に、創立当初の初期値をある程度拘束してしまうように思えてならない。

ここで注目したいのは、創立当初に相次いで開催された通算二回のジョイントコンサートだ。いずれも、当時の団長が中心となって企画立案したものである。ここに、彼が実現したかった合唱演奏形態の一端を垣間見ることができる。卒団して10年程度以内という、鍛えられた声をまだまだ保持している同窓の合唱経験者を数十人調達することで、確かに、大人数による男声合唱を実現したものの、前男のオリジナルメンバーだけに戻る日常の練習では、うまくゆかぬことが多く、信じられないほどハモらぬ場面に苦笑いすることも多々あったほどなのだ。

もちろん、最初から事はそう易々と運ばず、当面は実力の涵養に努めるしかない事を、当時の団長はわかりすぎるくらいに熟知していたはずであり、事実、その頃の団員総会議事録中にも、「ストイックに練習するしかない」旨の発言記録を見ることができる。しかし、自身が先天的な良声に恵まれ、類い希な歌唱力を持つ彼(←私としては、決して大袈裟でないと思う)にとって、例えば合唱に初めて取り組むメンバーに、一から発声法を教授することなど、気の遠くなる思いであったろう。

彼にとっては、そこそこの実力を持つメンバーを、先のジョイントコンサートよろしく、多少なりとも周囲に揃えることができれば、すぐにでも檜舞台で歌いおおせる実力は、大いに備わっていたのだから。この彼の奥底に眠る、自らの望む最良の合唱演奏形態としてのその実お手軽で利己的な考え方は、これからの前橋男声合唱団の活動に大きな影を落とすこととなる。

それと、当時の指揮者(と言うより、「指揮者役」というのに見えたな、私には)も、本業は中学教師であり、男声合唱を根気よくイチから造り上げてゆくというような、そういう職人的な作業に情熱も興味もなかったようで、活動縮小と共に姿を見せなくなった。創団当初に広げた風呂敷は大きかったが、当時の指導部が、その中身を粘り強く詰め込んでゆく知恵と決意に乏しく、求心力は急速に失われた。折角その旗印を見て参集した愛好者達を失望させ離散させることとなったのだ。

こうして早々に、前橋男声合唱団の活動の第一ステージは幕を下ろす。1993年(平成5年)のことであった。

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(「その3」につづく)

 


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@Mae_Dan