あれから10年が・・・(その1)

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「十年一昔」と俗に言う。あれから10年・・・。

外国語が不得手な私が、にわか知識をひけらかしてなんだが、英語では、”Ten years can bring a lot of changes.”というのだそうな。

直訳すると「十年の年月というものは、様々な変化をもたらす」か。(吉田君、あってますかね?)

そう。確かに、沢山の良いことが、この10年間、前橋男声合唱団にもたらされた。だから、なおさら小団の歴史を語る時、大きな転機となった、今から10年前の出来事を避けて通ることはできない。

それは2001年。十年前だ。合衆国で起きた同時多発テロ事件と同じ2001年9月に、わが前橋男声合唱団も重大な危機を迎えていた・・・。

勿体ぶるようなのだが、これを語るには、少々回り道ながらも、小団の歴史を振り返る必要がある。小団の創立は1989年。平成改元と同時だった。

創団当時のメンバーは7人程度であり、今とは異なり平日水曜の夜を定期練習日としていた。新男声合唱団誕生のニュースは、県内紙に取り上げられ、そこそこの話題を呼んだらしい。この勢いで翌年1990年(平成二年)には、団長(当時)の出身大学男声合唱団メンバーを、大挙呼び寄せてのジョイントコンサートを群馬県民会館で催している。

更に翌年の1991年(平成三年)には、倍近くのメンバーが名簿に名を連ねている。その年の四月に筆者は入団したのだが、早くも五月早々に、一つの演奏機会に接した。それが、再び前年と同様、外部から人材を呼び込んだ中、東急イン(当時)で開催された、二回目のジョイントコンサートだった。

こうして、創団三年目にして、二つの本格的男声合唱演奏会を相次いで開催したことで、やはり、県内紙などでも報道され、合唱関係者の間でも注目を浴びることとなった。

だがその実、この頃の実働メンバーは10人に満たない状況であり、当時、団内の空気を肌で感じていた私にはよくわかるのだが、たとえ、団が注目され、一時的にその異色性から喝采を浴びたにせよ、既に人材の流出は始まっており、内部からの崩壊は始まっていたのだ。

後に、有志でア・カペラ・グループの真似事をして分派活動も発生したが、結局本格化することなく、平成五年頃には、当時の指揮者も姿を見せなくなり、活動も自然消滅へと向かっていったのだった。

「その2」へつづく)

 

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