東京六大学合唱連盟 第60回定期演奏会

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東京六大学合唱連盟 第60回定期演奏会
2011.5.3(祝)16:00開演  於:ゆうぽうとホール

このたび東京六連の演奏会に出かけてきた。私はOBではないが学生グリーの現役当時から、(途中、子供の手がかかった頃は失礼申し上げたが)ほぼ毎年お邪魔している演奏会である。

当日は朝からこの季節特有の東風が関東地方に吹き込み、厚い雲が立ちこめていたが、時間の経過と共に、その鉛色の空は暗色を濃くして行き、折しも開演時刻前から雨が降り始めたかと思うと、やがて豪雨となった。

外は嵐だったが、ホールの中はどうだったろう。プログラムをここで振り返ってみたい。
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○エール交歓

1.5つのオアハケーニャによる憧憬【明治大学グリークラブ】

2.男声合唱曲「島よ」【慶應義塾ワグネル・ソサイエティー男声合唱団】

3.あなたへ 島 〜男声合唱と小石のために〜【法政大学アリオンコール】


4.Good Old Melodies【東京大学音楽部合唱団コールアカデミー】


5.男声合唱組曲「白き花鳥図」【立教大学グリークラブ】

6.ヒメサマクエストXI 〜伝説の花束〜【早稲田大学グリークラブ】

7.男声合唱のための「よいしょ!」【合同演奏】

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会場内風景

(ピンぼけ、相済みません)

全般的に発声が浅くなっており、表現レンジの幅はどうしても狭めにならざるを得ない。表現しようとするとき、手段を著しく制限された状態となるわけだ。合唱表現上の最大の隘路だろう。この長期低落傾向は止まっていない。

声は短期間でつくることは困難を極めるけれども、衰退するのは実に早く、下り坂を転げ落ちる勢いである。このような中、各指揮者がこの弱点をどうケアーし、いかにコントロールしたか、その辺で、この日の私の評価は大きく異なってくる。

さて、各ステージについて、寸評という形でさらってみることとしたい。

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1.5つのオアハケーニャによる憧憬【明治大学グリークラブ】
(編曲:信長貴富 指揮:外山浩爾)

信長貴富氏による編曲。2008年11月に小田原男声合唱団により初演された作品。インディオの匂いが漂う佳曲に題材をとったもの。大陸的な陰翳を伴うところなど日本人好みであり、これを信長氏が素敵に仕上げている。プログラム中にも、新大陸の先住民族たる蒙古系の人々との関連として触れられていた。

相変わらずの外山ワールド。不肖私が聴き始めた1985年以来、演奏スタイルは頑固なほどに不変だ。常に一定の力で整えられた音楽は、悪く言えば起伏に乏しいが、鳴らすべき所には卒がない。底流する氏の音楽観・・・私もようやくこの年になって共感できる要素に気がついた。

とにもかくにも発声面の底上げが急務だろう。 力強く”霊峰富士”と歌いつのる明治グリーの再興を心から期待している。

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2.男声合唱曲「島よ」【慶應義塾ワグネル・ソサイエティー男声合唱団】
(作詩:伊藤海彦 作曲:大中 恩 編曲:福永陽一郎 指揮:高村裕太 ピアノ:前田勝則)

学指揮氏にはやや荷が重かったのではなかったか。しかし、前田氏のピアノのリードに寄り添う技巧は、今日振ったプロの指揮者に引けをとらぬ。「指揮」者とはいえ、それで良いのだ・・・一方で発声に難があるワグネリアンをよく統率していたと思う。

伊藤海彦氏の原詩は読んでいて胸を締め付けられる思いだ。遠く歩いてきた人生とは。人間とは。そして、心の奥にまだたぎる、未だ赫々としたこの情念たるを。

曲がりなりにも人生を歩み、年を経て初めてわかることは 実に多い。だからこそ、このような曲に今日出会うことは、若者達の人生を必ずや豊かにするだろう。

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3.あなたへ 島 〜男声合唱と小石のために〜【法政大学アリオンコール】
(作詩:李 静和 作曲:高橋悠治 指揮:田中信昭)

プログラムの名簿では11人が名前を連ねていたが、実際のオンステはなんと6人。田中信昭氏は、今回も親しくマイクを手に取りステージ冒頭に解説を入れたが、結局ステージを降りて客席最前列に陣取る。(いつぞやも、こういう事があった)

結果、歌い手の視界には、田中氏が十分すぎるくらい入るわけで、実際に棒を揮わなくとも、合唱団全体に睨みを効かせることが可能だったろう。それも至極効果的に。

作曲の高橋悠治氏は、他にも同団の定番「回風歌」でも楽曲を提供している。アリオンは、いわゆる合唱的な声とは一線を画した声を用いているところは周知の通り。6人という男声合唱は他団に比べれば、音圧については比ぶべくもないが、音楽は濃かった。

果たせるかな達観の巨匠・・・、実に音楽的に内容のあるステージであったことは、演奏後、顔を紅潮させた田中氏が再び登壇し、学生達と固い握手を交わしていたことで再確認できた。

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4.Good Old Melodies【東京大学音楽部合唱団コールアカデミー】
(作詞:John Petre他 作曲:Henry R.Bishop他 指揮:有村祐輔)

タイトルの通り、欧州で歌い慣らされた比較的古典に属する曲群。有名すぎる終曲(Wiegenlied)以外は、初めて聴いた曲ばかりである。

有村氏の指揮は、やはり二十年以上拝聴しているが、不変のスタイル。しかし、これがなかなか多くの人に意図が伝わりにくいものがあるのだ。

お馴染みのカウンターテナーパートにメロディが回ることが多かったが、やはり、発声技術の統一感に乏しく、曲が平坦となり、残念であった。ファルセットを基本としても、もっと低い重心から息を太めに鳴らした方が、ワンステージを通し、緩急硬軟自在に聴かせることができるのではないか。

無論それは高度な技術であり、ひじょうに困難が伴うのはよくわかるが、ここを克服しないと、英語・フランス語・ドイツ語の発音も どうしてもおろそかになりがちだ。

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5.男声合唱組曲「白き花鳥図」【立教大学グリークラブ】
(作詩:北原白秋 作曲:多田武彦 指揮:高坂 徹)

北原白秋の詩はモノクロの水墨画の世界によくたとえられる。映画の表現方法でもよく使われるが、モノクロの回想シーンがいつしか淡いカラーに変相してゆく・・・、そして、ラストでは再びモノクロに・・・個人的には、そんな表現イメージをいつも抱いている。それだけ、細部の造形の彫りを深くしないと、なかなかモノクロ映画の効果が得られないだろう。

高坂氏の採った手法は、限られた表現レンジの中で、いかに欠点や弱点をさらけ出さぬようにするか、結局はその一点だったように思えて仕方がない。

つまりは、そういう堅実な守りは次善としても、最善としての果敢なる攻めに乏しかったのが残念である。ただ、学生の気合いは十分で、エールでの小さなミスを帳消しにするほど補って余りあった。

定演で再演する予定はあるのだろうか。高坂氏は故北村協一氏の直弟子である。その後ろ姿だけでなく、音楽的内容においても面影を偲べるようなタクトさばきを期待したいものだ。

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6.ヒメサマクエストXI 〜伝説の花束〜【早稲田大学グリークラブ】
(編曲・ピアノ:久田菜美 エレクトーン:並川弥央 指揮:東松寛之)

ここ数年来続く早稲田によるエンターテインメント系ステージ。相変わらず笑わせれてくれる。

笑いの感覚や若者文化に通じていないと、にわかに独特の一体感を感じられないこともあり、おそらく、年輩の方には「?」という時間が図らずも多かったのではないか。そして、もっと合唱の時間を相対的に高められれば、客の全体的な満足度は上がるのではないか。

更には、パンツ一丁のメンバーが踊り出す終幕部においては、下手すれば嫌悪感を抱く客もいたのでは。セクハラと同じで、いくら供給側にその気がなくとも、客が嫌悪を抱けば、その時点でアウトである。ハイレベル(?)な宴会芸は、別の機会に内輪でやっていただきたいと思うがいかがだろうか。テレビならチャンネルを変えられても、演奏会ではそうはいかぬのだから。

ただ、私は、早稲田のこの試み自体は決して悪くはないと思っている。

詳細は存ぜぬが、早稲田が二年連続でのトリということもあり、本演奏会における一定の役割を、六連の総意として期待されて実際に担っていると解すことも出来るが、本演奏会のコンセプトは、いまだはっきりしてこないのが実情であると推察する。

ただ、折角六校随一の人数を誇るのだから、純合唱的な早稲田の演奏を六連でも聴いてみたい・・・、そういう方は秋の定演に・・・ということなのかも知れないが、遠方から来る客の立場として意見をすれば、それが偽らざるところである。

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7.男声合唱のための「よいしょ!」【合同演奏】
(作詩:桑原茂夫、谷川俊太郎 作曲・指揮:松下 耕 ピアノ:前田勝則)

本年三月末の、Voces Veritas演奏会レポで、私は松下氏指揮の演奏を生で聴きたい旨、意思表示をしたが、早くもそのチャンスが巡ってきたことは、いやはや幸運であった。

この演奏会に三曲を書き下ろし、二曲を現存混声合唱曲からの改編で充当、計五曲のオムニバスステージ。前半の宗教曲二曲など、優美な旋律の交錯する、親しみの沸くフレーズで構成される佳曲であった。終始、氏の熱っぽさに引っ張られた学生達は充実した時間に感じられたのであろう。

しかし、作曲家が自らの曲を指揮するステージであっても、即アドバンテージに転化できていないように思われた。

まずは、ピアノの前田氏との連携が今ひとつであり、アゴーギクへの意識の差が気になる。ラテン系を標榜するはずのミサでも、肝心なピアノを生かし切れていないのはどうしたことだろう。前田氏ご本人に訊いてみないとわからない部分もあるが、弾き所で弾かせて貰えなかった箇所多しと感じられた。(少なくとも、2ステでは伸び伸びと弾いておられたから特に)

また、200人による合唱では、巨大化する音圧とは逆に、歌詩の明瞭さや音色の統一性が失われる等のリスクは大きく、難易度が極めて高い事を差し引いても、特に宗教曲において致命的となりやすい発声の浅さに対するケアの形跡が感じられぬ。母音やディクション処理もきわめて甘く、のっぺりとした”阿部真理亜”(!?)が繰り返され、曲への集中感を削いでしまう。

更に、小曲一曲一曲を区切っての、あのようなマイクパフォーマンスは、透徹した「祈り」としてステージを編み上げることを目指すのであれば、全く不要だったのではないか。なぜなら、氏が多用する「熱」や「祈り」等々の重要キーワードは、指揮者自ら言葉として小出しにせず、寧ろ音楽的なメッセージとして楽曲中に込めるべきものではなかったかと考えるからだ。

実際にライブを体験して思うのは、本邦初演の曲だったり、マイクパフォーマンスで指揮者が饒舌だったり、学生と熱っぽさを共有して喜ぶのも良いが、音楽的に強烈なリーダシップをとって欲しかったということに尽きる。(結局、Voces Veritas演奏会レポと同じ結論となってしまった訳だが)

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さて、終演は20時10分頃。二回のインターミッションを挟んで、4時間以上に及ぶ伝統の巨大演奏会であった。学生の皆さん、関係者の皆様、大変お疲れ様でした。

ホールを出ると、まだ小雨がそぼ降り、靄に煙った五反田界隈を突っ切って家路を急いだのだった。

(おわり)

 

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