楽譜に書き込むということ(その2)

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閑話休題。

小団でも、指揮者の指示事項を楽譜に書き込むことをしなかったために、 次に歌う機会で同じ注意をされて、他の団員から眉をひそめられるケースが散見される。 ほとんどが、団員個人の書き込みが不十分という、単純ミスである。

もちろん、指揮者の言葉を一字一句書き込むことは現実的に不可能であるので、 自分で固有の記号を予め決定し、臨機に記入する等の工夫も必要となってこよう。 ただ、中には頑なに、指揮者の指示を楽譜へ書き込まない方もいらっしゃる。

以前に、そういう一団員に尋ねたことがある。 なにゆえ、あなたは書き込まないのかと。

彼曰く、
「書き込まないのは、私のポリシー。だいいち、指揮者の断片的な指示事項によって、その曲へのイメージや思いが壊される。私は曲そのものや音楽そのものに陶酔したいのだ。」と。

こう返されると、普通の人はその言い様に「さすが!」と、ひるむことだろう。

ポリシー、イメージどという用語を散りばめ、結語に陶酔という一語を持ってくるところなど、 一見、その言やあっぱれではある。 私も例に漏れずひるんだ。 (笑)

その練習態度を注意することすら出来ず、その場は「なるほどねぇ〜」と笑顔でうなずき、引き下がることを選んだのだが、本意は、その音楽観に自己中心的な匂いを嗅ぎ取ったから、それにひるんだといったところ。

(でも、確かにこの世には、全部頭の中に入ってしまう方が希にいらっしゃるのです!)

団としても、そんな価値観(というよりは、「作法」といった方がいいかも知れない)を、一方的に押しつけることをしたくないし、 本人がそれで満足して、結果、全体合唱の調和を乱さなければ、当面は静観するだろう。

だが、度が過ぎれば、指揮者から、 「あなただけ違う」 と、その時は、容赦ない指摘が飛んでくることになるだろうが・・・。

さて、笑われるのを承知で書けば、楽譜への書き込みは単に指揮者の指示事項の羅列であるだけでなく、 団員それぞれの「練習日誌」なのであると思う。

私も、個人的なレベルとは別個に、 こうして、この練習日誌ブログとして日々記録することで、「知的生産」を心がけてきた。 我々の来し方をを振り返り、将来に向かって漕ぎ出すとき、練習日誌は重要な意味を持つ。

我々は過去に何をどう考え、何を目指していたのか、そしてなぜそれを目指していたのか。

結びに、梅棹忠夫の「知的生産の技術」から引用して、本記事を終えたい。(改行は筆者)

「 … 「自分」というものは、時間とともに、たちまち「他人」になってしまうものである。 形式や技法を無視していたのでは、すぐに、自分でも何のことがかいてあるのか、 わからなくなってしまう。 日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、 とかんがえておいたほうがいい。」

 

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コメント

  1. ヴァイオリンとピアノが好きな私 より:

    こんばんは。
    楽譜に書き込むお話ですね。
    私の場合も指導者から言われた言葉は楽譜に書き込みますね。
    ただ、私の場合は、楽譜に直接書き込みするのではなく必ず楽譜のコピーをとりコピー譜に書き込みします。そして、練習時にレコーダー持参で録音または録画で必ず収録し、収録したのを自宅でテープおこしをしてコピー譜に注意書きを書き込み、注意書きを赤、青などに色わけしたり、コピー譜以外のノートや五線紙に記入したりしています。
    ただ、この方法は私は合唱ではしていないですね。あくまでも自分の演奏するソロからクインテット位までですね。
    合唱の場合はここまではしていなくて指導者から言われた言葉を直接楽譜に書き込み位ですね。
    完璧に手抜きですね。失礼致しました。

  2. Tetsu より:

    ヴァイオリンとピアノが好きな私様、コメントをありがとうございます。
    練習時に録画収録とは恐れ入りました。
    小団内にも、レコーダーを持参されるメンバーはおりましたが、ビデオまでとは!?
    確かに、デジタル機器が汎用化され、コンピューターの処理能力が向上しておりますので、
    それも一つの方法ですね。欠席したメンバーにも見せられますし!
    (練習内容を後日ビデオで見られるからといって、誰も練習来なくなったら本末転倒ですが・・・汗)
    楽譜への書き込み方にも、人それぞれの個性がありますよね。
    とても勉強になります。

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