「共感」という名の人間関係に依存した合唱団の危うさ

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合唱団というものが人間社会の中のコミュニティとして機能していることは、過日ここで記したとおりである。一つの合唱団に属して、長らく運営の立場に携わっていると、いろんな人間模様を目撃することになる。

特に、団員をして団の実質活動から去らしむる一連の退団劇・休団劇の中で発覚するであろう合唱に対する考え方の些細なすれ違いや勘違いというものは、過去に在籍した団員の数ほど存在するはずである。

極端な数例については、特集記事としてこちらに掲載しているとおりであるが、そこに底流する最大公約数的な要素としてのキーワードは、「共感」という言葉で表せるのだろうと考えている。

人間関係を良好に維持するためのコツとして、特に女性は古くから精神的な交流・・・いわゆる「共感」というものを重視してきた。一般に女性が贈り物や様々な細かい気配りの機微に聡いのは、その表れだろうし、「井戸端会議」という言葉が示すように、女性達は井戸端でいろんな感情を互いに共感することで支え合って生きてきたのだ。

半面、男性は人間関係をもっと即物的に捉えてきたのではなかったか。狩りをするにも、連係プレーは必須だったろう。もちろん、そうすることで、戦後における日本の高度経済成長期を支えるのに役立ったのだとも理解できる。

しかし、ここで仮説ではあるのだが、野性の発揮や戦争などというものが身近でなくなり、時代の変化と共に男性的なそれが徐々に捨て去られ、女性的な「共感」をベースとしたノウハウだけが生き残ってきてしまっていると推論できないか。そのせいか、共感する能力に長けた男性を、周囲に多々見かけるように思えてならないのである。(無論、知らず知らずに、筆者自身がそうなっている可能性を敢えて排除しないが・・・)

私は、「共感」すること自体を決して否定するものではないが、この一側面を前提にして人間同士のコミュニケーションというものを映し出そうとするところに、所詮無理があると主張したいのだ。

そもそも「共感」によって形作られた人間関係は、いわゆる「恋愛関係的なもの」に転化しやすい。だから、相手に希望的観測から過度な期待をしたり、自らを理解して貰おうとし過ぎ、これに多大なエネルギーを消費する。順風満帆な場合は良いが、思い通りに事が進まないと、裏切られたように感じられて傷ついたり、燃え尽きてしまうものなのである。

そして、

「自分一人だけが損をしている」とか、「仕事の都合だから仕方がないのに」とか、「自分は遠くから時間通りに来ているのに、近くに住みながら遅刻する奴はけしからん」とか、「メンバーのためにこんなに無理して頑張ったのに」

といった被害者意識が心の中に鬼火のように沸き起こり、合唱団をトラブルに巻き込んでしまう危険性があるものなのだ。こういうケースは、例を挙げればきりがないだろう。

念を押すが、女性的な「共感」する能力を否定する意図があるのではない。これはある意味構造的な問題で、上の世代にとっては当然の概念だった人間関係を良好に保つ技術というものが、「共感」する形以外では、なかなか伝承されなくなってきているのではないか。

不惑そこそこの筆者ではあるが、人生の酸いと甘いを知る私以上の年齢層には、技術的な面から合唱に重厚さや達観というものを加えるだけでなく、団の中で人間関係を良好に保つ技術について、若年層にインスピレーションを与える役割を期待するというのは、いささか荷が重く、いかにも調子の良過ぎる提案というものだろうか。

昔から人情に流れやすい群馬県人の気質(←と良く言われるわけだが)である。「共感」というものの比重が重くなりがちなのは、寧ろ自然なのかも知れないが、さもありなん、と思われた他団合唱団員読者貴兄も少なくないのではないか?

新年一発目から、純音楽的な話でなく恐縮であるが、最近の男声合唱団というものが、実はかなり女性化してしまっているのではないか・・・?そんな素朴な疑問からこの記事が生まれた。

そもそも、「共感」というものへ依存しすぎる余り、人間同士のコミュニケーションが「共感」を前提に成り立つような夢想を、自分達に都合の良いように頭の中だけで繰り広げ、挙げ句の果てに、それを破壊しては来なかったか。

所詮「共感」とは、気難しい老人を説得するかのように、目も眩むほどの驚異的な忍耐によって、一歩一歩、コミュニケーションを積み重ねながら得られるものであり、むしろ苦痛なものであることと、我々は心から知るべきなのではないか。

 

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