9月 212014
 

その1)からの続き

こうして、13時から四時間余り続いた練習も、あっという間に終わってしまったわけだけれども、この時間を通じての反省と言えば、(今さら感はあるのだが)やはり、指揮者の指摘に対する対応力の不足であろう。

とりわけ、我が所属パートたる「バリトン」について、まず第一に、パートリーダーたる私の力量の無さを嘆くしかないのだが、指揮者の指摘に対して、その求められる対応ができていない。または、過剰に反応してしまう。要するに、リクエストに50%も答えられていない・・・。

まるで、ボリュームの大小しかツマミのついていない安価なアンプをいじっているのかのようなのだ。

こういう傾向は、バリトンに限らずどのパートも似たり寄ったりで、バリトンは自爆とか凡ミスが他パートに比べやや多く、目立つので、指揮者からも、悪いお手本としてスケープゴートにされている面が強い。

我々は普段、他人とコミュニケーションをとる際、様々に身体の各器官を連携させ、呼吸と共に、声音を自在に駆使しているはずだ。(変化させる要素は音量だけではないはずだ)

当然、(その1)でも触れたように、体育館の端と端のように、お互い、遠くの人に呼びかける際など、相手に聞こえるように自分の身体全体を響かせようと自然に身体を開く。

その結果、相手の心の襞に入り込み、さらには、相手の心を動かしたり、感動させたり(時には怒らせたり!)している。

そういう、もはや無意識に近いレベルで、実は結構うまく対応できていたりするのである。普段できていることが、突然できなくなるとはこれ如何に?

そここそが、我々が訓練しなければならないポイントであり、決して、実声で張ったり低音を響かせる音域を広げることではないのだ。

そして、そこを鍛えるためにこそ、体操から呼吸、発声練習が派生して、小団のアップメニューとして存在していると考えたほうが良い。

それにしても、普段できるのにできない・・・ということは、条件が違うからであろうことはすぐに想像がつく。して、それは何か。

それは、明確な歌曲(合唱曲)という題材が楽譜として存在し、その歌曲は、明らかに意図的な「表現」を志向しているということである。

そう、単なる意識の「表出」にとどまらない、意図的な「表現」。

しかも、「楽譜」という、表現者にとっては、「甚だ不完全な代物」として存在しているのだ。

強化合宿という場ではあるが、以上のような、ちょっと面倒な思考を展開してみた次第。

ともかく、練習はこうして終わり、次は待ちに待った宴会へ。
(その3)へ続く!・・・と!

 


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 Posted by at 21:00

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@Mae_Dan