雑感

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「先生、歌ってみませんか。」と言う誘いに乗り、男声合唱の練習を聞かせて貰った時に、私の世界はコペルニクス的展開を遂げた。その次の練習から仲間に入れて貰い、自分自身の体を通して、それまで体験しなかった異質な世界を知ったのである。多田武彦その他の優れた作曲家が幾多の詩に触発され、想像の中で生み出した世界である。それ以来、もう十年になった。 この言葉の主は、他ならぬ前橋男声合唱団の団長小山昌人さんである。

16・7歳で、恩師「ギヤマン」、こと、福島栄三先生によって本格的に音楽に開眼した私は、たまたま学んでいた学校が男子高校であったが故に、女子高校生と共に歌うことの出来る合唱部に加わり、一年有余合唱というものを楽しんだ。その以後歌うことは、「歌声運動」の中で、ロシア民謡以外に無かった私は、小山さんの誘いを受けるべきか、受けざるべきかに迷った。私が聞かせて頂いた前橋男声のメンバーの誰々であったかは定かに記憶が無い。しかし、その澄み切っていてしかも力強い響きは、私がこよなく愛していた弦楽四重奏の音を彷彿とさせるも のであったことは良く憶えている。

「きょうしん衣料センター」を震わせた響きに感動した私は、即座に入団を心に決めた。 四十年近くも合唱から遠ざかり、楽譜も読めないずぶの素人であるにも拘わらず団員になった私を、常に温かく励まし続けてくれたのは団長であり、また、当時指導して下さっていた加藤先生であった。「先生、なかなかいいですね。声が出るようになりましたよ。」「歌っていて、良く声が聞こえますよ。響いていますよ。」こういう言葉が私にかすかな自信を与えてくれたのだ。十年間も、団の末席を汚していられるのは、ひとえに団長小山さんの励ましと、初めの数年間導いてくださった加藤先生の温かさによってである。

第一回の演奏会は、思い上がりではあろうが、私に或る自信を与えた。その自信とは、私如き者でも努力すればパートの他のメンバーの助けによってある程度まで行けるのだというものであった。そして、特に感じたことであるが、合唱というものはメンバー個々の持つ音楽性の総和であるということである。勿論、此の総和は優れた指揮によってのみ引き出されるものであろうが。この音楽性というものは一人一人の感性と人生経験によって培われるもの。此の点に於いては、 前橋男声合唱団は他の合唱団に些かも引けを取らないと確信する。 第二回演奏会の成功を夢見つつ。

(1999年9月 副団長 白石昭夫)

 

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