新レパートリーが一部決定 〜”新生”前橋男声が始動!!〜

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11月 012001
 

旧盆明けから、台風やら総会やらで、ろくに練習に取り組めていなかったが、
このたび新レパートリーも決 まり、10月中旬より練習を開始している。

新曲は”Robert Shaw Choral Album”だ。

綺羅星の如く、名曲がずらりラインナップされるこの曲集は、男声合唱曲としてはポピュラーであり、
大学のグリークラブをはじめ、各地で愛 唱されているところだが、
我々の演奏を聴きに来るお客様にも、少しは耳慣れた曲を(決して媚びるという意味ではなく)・・・
ということで、このたびレパー トリーとして選ばせていただいた。

「メリーさんの羊」「大きなのっぽの古時計」「ラブ・ミー・テンダー」等々、
幼少時から耳にしたことのあるメンバーも多 いようで、音取り作業の滑り出しも順調である。
年内にはひととおり、音取りが終わる見込みである。

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 Posted by at 15:38

「指揮者にご指導いただく」っていった い何だんべ?

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11月 012001
 

「あなたの合唱団はどなたにご指導いただいてるの?」 

「うちかい? 中曽根敦子だよ。」

などという会話・・・。格別何の変哲もない、合唱団の常任指揮者を誰何するという日常の会話であるが、こういう会話を耳にするたび、私の心に去来すること がある。実は表題に記したように、意味深な命題なのである。つまりは、合唱団と指揮者の関係である。 

私が前橋男声に入団した平成3年頃のことを話させていただく。私は初めての練習で期待と不安の入り交じる、新しい社会に飛び込む前に付き物の心細さを感 じながら、練習場に向かったものだが、いざ練習に参加してみて、その様子が特殊であるのに気がつくには、そう時間はかからなかった。評判通り、声としては 素晴らしいものを持ったメンバーが何人かいるようだ。しかし、メンバーは指定された練習時間にたまたま居合わせ、たまたま声を出し、それがたまたま合唱ら しきものとなり、そして帰っていく。単純に言えば、毎回、「ただ歌っただけ」・・・。また、みんなの前で当時の団長に紹介されたが、誰一人話しかけてくれ ない寂しさを味わったものだ。(苦笑) 練習の中では、何やら指揮者がいろいろ指示を出していたが、聞いているのか聞いていないのか返事の一つもない。上 手く言えないが、指揮者とメンバー個人はどうやらかろうじて、「一方通行」という名の1本の糸で繋がっているようだが、メンバー同士の横の繋がりが薄いよ うだ。だからか、イマイチ合唱団としての主張がないな、とその時私は感じた。しかし、社会人合唱団はこういうものなんだと自分を納得させたが、入団後、私 は練習場への足が遠のいていくことになる。それは、単に会社~練習会場~自宅の距離が60余りになるという遠距離だけが理由ではなかった気がしている。 

ともあれ様々な経緯を経て、以来、2回の自前演奏会を経て、現在も相変わらず少人数ではあるが、特に隠れ酒豪の現指揮者を招いて以来は、極端に(?)飲 む機会、騒ぐ機会が多くなり、メンバーの事を知るチャンスも増え、結果、横の繋がりも多岐多様になってきたように思う。ま、単に飲む機会だけでなく、メン バー同士、合唱や練習の事に関して話が咲くことが多くなったのも事実なのである。まだまだ発展途上なのは承知の上だが、合唱団の成熟度・内部エネルギーが 高まってきているのは、間違いない。 

さて、「一方通行」と申し上げたが、合唱団に指揮者を置く場合、”指揮者”対”合唱団”という双方向の会話、いや「ぶつかり合い」が必要であると思う。 「ぶつかり合い」というと少々物騒な印象を抱くだろうが、合唱団側が、 

「俺達はこう思う!!」

と主張することができれば、指揮者の方だって 

「いや、こうでもいいんじゃない?」

と言えるから、そこから音楽としての合唱が流れ始めることが出来るのである。それを、ただのんべんだらりと指揮者の言うことを聞きっぱなしなのであれば、 歌い手の感性が全く歌に乗ってこないことになる。それは最早、人間の歌う「歌」ではない。と同時に、何の工夫もなく、そういう練習を主導した指揮者も失格 である。冒頭の会話の字面の通り「ご指導いただいて」いる状態では、つまらないものになってしまう。そういう形で「ご指導して」、悦に浸っている指揮者も 指揮者であるが・・・・。結構、多いっすよ、そういう指揮者。あなたの合唱団は大丈夫??(笑) えっ?前橋男声は大丈夫かって??うちのは、「ご指導」 じゃなくて、「お鍛え」なんで・・・・あはは(汗)・・・ま、入団してからのお楽しみっつーことで。。。 

個重視の時代ではある。世の中の論調も「自分の為に」が主流だろう。それに近所付き合いも昔に比べ希薄になった。みんな自分の為だけに合唱団に歌いに来 る。私もいろんな合唱団に属したが、上述のようなタイプの練習を果てしなく繰り返す合唱団は多いものだ。逆に、人間関係の煩わしさが嫌で、メンバー同士の 繋がりが少ないのを好み、そういう合唱団を掛け持ちしている人間さえ存在するのを知っているが、寂しい限りであるし、失礼ながらその人間を哀れまざるを得 ない。だって、合唱の楽しみの奥深さを知らないのだもの。その人間はそれを合唱の楽しみだと思っているのだからいいんじゃん?と言われればそれまでである が・・・・・。 

合唱団の主張を創り出す最良の素地は、メンバーの交歓である。そこから様々なパワーやエネルギーが湧いてくるのである。私の恩師は合唱活動の中で一番大 切なことは「隣人を愛せよ」というキリストの言葉であると説いた。同じパートで隣で歌っているヤツの事も知らなくて、どうして合唱団の主張やらメッセージ へと昇華されようか??それなくしては、生き生きとした合唱活動ではあり得ないし、そうやって「ぶつかり合う」ことにより、また、指揮者の側だって生き生 きさせるのであるから。そして、指揮者が今までのモノとは違う、新たな引き出しに手をかけたとき、我々はほくそ笑み、次に訪れるワンランク上の合唱活動の 予感に胸奮わせ、結果として新たな喜びを得ることが出来るだろう。新たな引き出しがないような指揮者であったならそりゃもう悲劇であるが・・・。

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