「あなたの合唱団はどなたにご指導いただいてるの?」 「うちかい? 中曽根敦子だよ。」 などという会話・・・。格別何の変哲もない、合唱団の常任指揮者を誰何するという日常の会話であるが、こういう会話を耳にするたび、私の心に去来することがある。実は標題に記したように、意味深な命題なのである。つまりは、合唱団と指揮者の関係である。
私が前橋男声に入団した平成3年頃のことを話させていただく。私は初めての練習で期待と不安の入り交じる、新しい社会に飛び込む前に付き物の心細さを感 じながら、練習場に向かったものだが、いざ練習に参加してみて、その様子が特殊であるのに気がつくには、そう時間はかからなかった。
評判通り、声としては素晴らしいものを持ったメンバーが何人かいるようだ。しかし、メンバーは指定された練習時間にたまたま居合わせ、たまたま声を出し、それがたまたま合唱らしきものとなり、そして帰っていく。単純に言えば、毎回、「ただ歌っただけ」・・・。また、みんなの前で当時の団長に紹介されたが、誰一人話しかけてくれない寂しさを味わったものだ。(苦笑)
練習の中では、何やら指揮者がいろいろ指示を出していたが、聞いているのか聞いていないのか返事の一つもない。上手く言えないが、指揮者とメンバー個人はどうやらかろうじて、「一方通行」という名の1本の糸で繋がっているようだが、メンバー同士の横の繋がりが薄いようだ。だからか、イマイチ合唱団としての主張がないな、とその時私は感じた。しかし、社会人合唱団はこういうものなんだと自分を納得させたが、入団後、私は練習場への足が遠のいていくことになる。それは、単に会社~練習会場~自宅の距離が60キロ余りになるという遠距離だけが理由ではなかった気がしている。
ともあれ様々な経緯を経て、以来、2回の自前演奏会を行い、現在も相変わらず少人数ではあるが、特に隠れ酒豪の現指揮者を招いて以来は、極端に(?)飲 む機会、騒ぐ機会が多くなり、メンバーの事を知るチャンスも増え、結果、横の繋がりも多岐多様になってきたように思う。ま、単に飲む機会だけでなく、メンバー同士、合唱や練習の事に関して話が咲くことが多くなったのも事実なのである。まだまだ発展途上なのは承知の上だが、合唱団の成熟度・内部エネルギーが高まってきているのは、間違いない。
さて、「一方通行」と申し上げたが、合唱団に指揮者を置く場合、”指揮者”対”合唱団”という双方向の会話、いや「ぶつかり合い」が必要であると思う。「ぶつかり合い」というと少々物騒な印象を抱くだろうが、合唱団側が、「俺達はこう思う!!」 と主張することができれば、指揮者の方だって 「いや、こうでもいいんじゃない?」 と言えるから、そこから音楽としての合唱が流れ始めることが出来るのである。それを、ただのんべんだらり(←群馬弁?)と指揮者の言うことを聞きっぱなしなのであれば、 歌い手の感性が全く歌に乗ってこないことになる。それは最早、人間の歌う「歌」ではない。と同時に、何の工夫もなく、そういう練習を主導した指揮者も失格である。冒頭の会話の字面の通り「ご指導いただいて」いる状態では、つまらないものになってしまう。そういう形で「ご指導して」、悦に浸っている指揮者も指揮者であるが・・・・。結構、多いっすよ、そういう指揮者。あなたの合唱団は大丈夫??(笑) えっ?前橋男声は大丈夫かって??うちのは、「ご指導」 じゃなくて、「お鍛え」なんで・・・・あはは(汗)・・・ま、入団してからのお楽しみっつーことで。。。
合唱団の主張を創り出す最良の素地は、メンバーの交歓である。そこから様々なパワーやエネルギーが湧いてくるのである。私の恩師は合唱活動の中で一番大切なことは「隣人を愛せよ」というキリストの言葉であると説いた。同じパートで隣で歌っているヤツの事も知らなくて、どうして合唱団の主張やらメッセージへと昇華されようか??それなくしては、生き生きとした合唱活動ではあり得ないし、そうやって「ぶつかり合う」ことにより、また、指揮者の側だって生き生きさせるのであるから。そして、指揮者が今までのモノとは違う、新たな引き出しに手をかけたとき、我々はほくそ笑み、次に訪れるワンランク上の合唱活動の予感に胸奮わせ、結果として新たな喜びを得ることが出来るだろう。新たな引き出しがないような指揮者であったならそりゃもう悲劇であるが・・・。
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