[第四部]それでも、人はなぜ既存の合唱団を離れるのか

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ここまで三回にわたって、「合唱を消費する」というところから始まり、企画合唱団という新しい活動様式、そして地域の合唱文化について考えてきました。

その間、ありがたいことに、さまざまなご意見をいただきました。なかでも第三部を公開したあと、こんな問いをいただきました。

長年活動してきた合唱団には、時間をかけなければ築くことのできないものがあり、それを地域の「文化資産」と考えるのなら、そもそも、なぜそこから人が減って活動が難しくなっていくのか。

なるほど、その通りだと思いました。新しい合唱団ができたから、既存の合唱団から人が減ったなどといった単純な因果関係だけで考えてしまえば、大切なことを見落としてしまいますね。

人が離れるのには、理由がある

長く続いている団体だからといって、それだけで魅力が保証されるわけではありません。活動内容が団員の生活に合わなくなることもあれば、歌いたい曲と団が取り組む曲との間にズレが生じることもあるでしょう。練習方法や指導方針が合わない場合だってあります。

そして、ときには人間関係の問題もあります。長く続いている団体ほど、独自の慣習ができたり、古くからいる団員の存在感が大きくなったり、本人たちには悪気がなくても、新しい人には入りにくい雰囲気が生まれてしまったりすることもあるでしょう。

そう考えれば、新しい団体に人を「奪われた」と考える前に、なぜその人は自分たちの団を離れていったのか、既存の団体自身も心して考える必要があります。

これは、まさに我々自身にも向けなければならない問いです。古くから活動してきたというだけで、その団体に存続する権利が自動的に与えられるわけではありません。時代に合わなくなった団体が役割を終え、新しい団体に置き換わっていく。それもまた、文化の新陳代謝なのかもしれません。

一方で、新しい合唱団が生まれることで、それまで合唱に参加できなかった人たちが動き始めることもあります。実際、この連載を読んでくださったある指揮者の方からは、新しい団体を立ち上げたところ、以前から合唱をやってみたかった人や、昔歌っていて再開するきっかけを探していた人が数多く参加した、というお話を伺いました。新しい指揮者が、新しいレパートリーや人のつながりを地域にもたらすこともあります。

ですから、

「新しい合唱団ができるから、古い合唱団が衰退する」

とだけ考えるのも、やはり正しくありません。ここまでは、かなりはっきりしてきました。しかし、それでも私の中には、一つの問いが残ります。

一人ひとりにとって正しい選択

団員が、自分の歌いたい合唱団を選ぶ。それは当然のことです。

ある団体が自分に合わなければ別の団体へ移る。歌ってみたい作品があれば、その企画に参加する。学んでみたい指揮者がいれば、その人のところへ行く。最近いただいたご意見の中には、

「曲や合唱団だけでなく、指導者や指揮者を体験することも、一種の『消費』なのではないか」

というものもありました。なるほどと思います。いろいろな作品を歌い、いろいろな指揮者に出会い、いろいろな団体を経験する。一人の合唱人の人生として考えれば、それはむしろ豊かなことなのかもしれません。

私自身、そうした自由を否定するつもりはありません。

ただ、ここで視点を少し引いてみます。一人ひとりにとって合理的な選択が積み重なったとき、地域全体では何が起こるのでしょうか。

「部分最適」と「全体最適」

私は長く、都市計画という仕事に関わってきました。そこで繰り返し聞いてきたフレーズの一つに、

「部分最適ではなく、全体最適を考える」

というものがあります。

人口が増えていた時代、都市が郊外へ広がることは発展の象徴でした。地価の安い郊外に住宅地ができる。広い敷地を確保できる郊外に大型商業施設ができる。手狭な街なかの病院や公共施設が郊外に移転する。道路が整備され、さらにその外側へ市街地が広がっていく。その自治体は人口増で税収が増えてゆく。一つひとつを見れば、そこには合理的な理由があります。

郊外の安い土地に家を建てたい。郊外にしかない広い敷地の商業施設を作りたい。郊外居住なので自動車での移動を前提とした生活がしたい。しかし、人口が減少する時代になっても、それを続けたらどうなるでしょうか。

中心市街地から店が消える。公共交通を維持できなくなる。病院や学校が統廃合される。

そして、かつて便利だった郊外の住宅地も、住民が高齢化したころには、買い物や通院すら難しい場所になってしまうことがあります。

誰か一人が間違った選択をしたわけではありません。住民にも、商業者にも、自治体にも、それぞれの合理性があった。しかし、

一つひとつの合理的な選択を積み重ねた結果が、地域全体にとって最善になるとは限らない。

これが、人口減少時代の都市が直面してきた問題の一つです。

だからこそ現在の都市政策では、ただ市街地を外へ広げるのではなく、今ある都市機能をどう生かし、どう維持し、将来にわたって暮らしを支えられる都市構造をどうつくるのか、という考え方が重視されるようになっています。

ここまで考えて、私はふと思いました。合唱界も、どこか似てはいないでしょうか。

合唱界にも「部分最適」がある

団員にとっては、自分が最も楽しく歌える場所を選ぶことが最適です。指導者にとっては、自分が理想とする音楽を実現できる団体を持つことが最適かもしれません。一つの合唱団にとっては、優れた団員が集まり、演奏水準が上がり、活動が充実することが最適でしょう。

どれも間違っていません。むしろ、それぞれの立場から考えれば、ごく自然なことです。しかし、それらをすべて足し合わせたとき、

地域の合唱文化にとっても、本当に最適なのでしょうか。

(前回よりの再掲となりますが)例えば、ある地域に新しい合唱団が生まれ、20人の団員が集まったとします。その20人の多くが、これまで合唱をしていなかった人たちなら、地域の合唱人口は確実に増えています。昔歌っていた人が戻ってきたのであれば、それもまた新しい力でしょう。

一方、その多くが、すでに周辺の合唱団で活動している人たちだったとしたら。

そこまで行けば新しい団体としては十分成功でしょう。大成功です。参加した人たちも、新しい音楽との出会いを楽しんでいるでしょう。しかし、地域全体の合唱人口はほとんど変わっていません。変わったのは、人の「配置」です。

もちろん、それによって団体間に健全な競争が生まれ、それぞれの活動が魅力を増していくこともあるでしょう。ならば、それも地域にとって一つの成果です。

しかし逆に、その移動によって、複数の団体がこれまで担ってきた役割を維持できなくなる場合もあります。ここで重要なのは、団体の「古さ」ではなく、その団体が地域の中でどのような役割を担ってきたのか、ということです。

地域の行事に継続して参加してきた。学校や施設との信頼関係を築いてきた。初心者を受け入れ、合唱を始める入口になってきた。演奏会を企画し、会場を確保し、地域に告知し、多くの人を巻き込みながら一つの舞台を作り上げてきた。次の運営者を育て、人が入れ替わっても活動を続けられる仕組みを作ってきた。

そうした役割まで失われるのだとすれば、問題は単に「合唱団が一つ減った」ということだけではありません。逆に言えば、長い歴史を持っていたとしても、そうした役割をすでに果たせなくなっている団体なら、その存在だけをもって地域文化の損失だとは言えないでしょう。だからこそ、

「新しい合唱団が一つ増えた。地域の合唱が盛んになった」

という数だけでは、地域の合唱文化が豊かになったかどうかは測れないのだと思います。

文化は、どこに蓄積されるのか

ここで、第三部で使った「文化資産」という言葉に戻ります。

そもそも、文化とは人に宿るものではないでしょうか。

一人の合唱人が、Aという団体からBへ、さらにCへと移り、それぞれで素晴らしい経験をすれば、その経験はその人の中に残ります。

そして、その人が新しい場所へ経験を持ち込むことで、文化が伝わり、広がっていくこともあるでしょう。ですから、人が動くことを「文化が失われる」と単純に捉えるべきではありません。

その一方で、人が入れ替わってもなお、組織や地域の中に受け継がれていくものがあります。

演奏会を継続して開催してきた実績。新人を受け入れ、育ててきた仕組み。団体を運営し続ける中で共有されてきた、言葉にしにくい経験や知恵。

これらは誰か一人だけが所有するものではありません。人から人へ引き継がれながら、組織と地域との関係の中に、時間をかけて蓄積されてゆきます。個人が引っ越したり、引退したりしても、次の人へ引き継がれることで残り続けることができる。

私は、そうした人と人、人と組織、組織と地域との間に残るものまで含めて、「地域の合唱文化」と考えてみたいのです。だから問いたいのは、

人が動くことが良いか悪いか、ではありません。

個人の豊かな音楽人生と、地域に文化が蓄積されていくこと。その二つを、どうすれば両立できるのか。そこに、人口減少時代ならではの課題があるように思います。

「作ること」ではなく、「どう作るか」

ここで、少し整理しておきます。

第二部で取り上げた期間限定の「企画合唱団」は、新しい合唱の楽しみ方として、すでに大きな役割を果たしています。ここから私がもう少し考えてみたいのは、それとは少し性格の異なる、地域に継続的な活動拠点を置く新しい常設合唱団についてです。

もちろん、それを作ること自体が問題なのではありません。新しい活動が、新しい人を呼び込み、新しい音楽を地域にもたらすのであれば、それは歓迎すべきことでしょう。

では、人口が減り、合唱人口にも限りがある地域で、新しい常設合唱団が生まれるとき、その主な担い手が、すでに地域の別の団体で活動している人たちだったとしたら。

それは、新しい需要を掘り起こしたことになるのか。それとも、地域の中にすでにある人的資源を、新しい場所へ再配置したことになるのか。もちろん、そのどちらか一方と単純に決められるものではないでしょう。

だからこそ、誰が、その団体を作るのか。何を目指して作るのか。どのような人たちに参加を呼びかけるのか。そして、その活動によって、地域に何を新しく生み、何を残そうとしているのか。そこまで考えてみる必要があるのではないでしょうか。

人口が増えていた時代と、人口が減り続ける時代。同じ「新しい合唱団を作る」という行為でも、その意味は少し違ってくるように思います。ただし、私はここに何らかの「規制」が必要だと言いたいわけではありません。どの団体で歌うかも、新しい団体を作るかも、本来自由です。誰かが合唱界を管理すべきだ、という話でもありません。それでも、自由な活動の積み重ねによって地域の合唱文化が形づくられていくのなら、

一つひとつの活動だけでなく、その地域全体の姿にも目を向ける視点は必要なのではないでしょうか。

そして、その視点を誰が持つのか。誰が、個々の活動の活発さだけではなく、地域の合唱文化が将来にわたって続いていく姿まで考えるのか。

次回は、いよいよそこを考えてみたいと思います。

(長文お付き合いありがとうございました)


※関連記事

[第一部]合唱は、いつから「消費」されるものになったのか

[第二部]「常設合唱団」という言葉が生まれた時代

[第三部]地域の合唱団は、誰のものなのか

[第五部]「合唱の振興」とは、何を振興することなのか

 

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