
合唱を続けていると、「時代が変わった」と感じる瞬間があります。それは演奏様式や選曲の話ではありません。もっと根本的な、人と合唱との関わり方の変化です。
私は長年、地域の合唱界を見てきました。その中で、少しずつ強くなってきたなぁと感じるのが、「合唱を消費する」という感覚です。
もちろん、「消費」という言葉には少々刺激があります。誤解を恐れずに言えば、ここで私が指しているのは、手軽に満足を得て、期待したものが得られなければ次へ移るという行動様式です。
現代社会では、それはごく自然なことかもしれません。
欲しい情報は検索すればすぐに手に入り、音楽も映画も配信サービスで好きな時に楽しめます。家電が壊れれば修理より買い替えを勧められることも珍しくありません。効率や費用対効果を重視する価値観は、私たちの日常に深く浸透しています。
合唱だけが、その影響を受けないはずはありません。
入団して数か月で「思っていたほど楽しくない」と感じる人もいます。演奏会を一、二度経験しただけで退団する人もいます。それ自体を責めるつもりはありません。人にはそれぞれ事情がありますし、自分に合う場所を探す自由もあります。
しかし、私は時折、不思議に思うのです。合唱というものは、本来そんなに短期間で答えが出るものだっただろうか、と。
合唱の魅力は、一人では決して得られません。音程を合わせ、言葉をそろえ、互いの呼吸を感じながら、一つの音楽をつくり上げていく。その過程では、思うように歌えない時期もあれば、人間関係に悩むこともあります。
それでも歌い続けるうちに、ある日突然、これまで見えなかった景色が見えてくる。私は、その積み重ねの先にあるものこそが、合唱の本当の喜びではないかと思っています。
だからこそ、「すぐに感動したい」「期待した成果が得られなければ別の場所へ移る」という価値観とは、どこか相容れないものを感じます。
もちろん、時代が変われば価値観も変わります。昔のやり方だけが正しかったのだと言うつもりはありません。ただ、効率や即効性を求める社会の中で、合唱まで同じ物差しで測られるようになったとしたら、私たちは何か大切なものを見失ってしまうのではないか、あるいは既に失いつつあるのではないかと思うのです。
以前の私は、この違和感を「合唱が消費される時代」と表現しました。しかし最近になって、その考えはもう一歩先へ進みました。もしかすると、消費されているのは合唱だけではないのではないか。私たちは、知らず知らずのうちに合唱団そのものまで「消費」の対象として見始めてはいないだろうか。
次回は、この問いについて考えてみたいと思います。
※関連記事
[第二部]「常設合唱団」という言葉が生まれた時代
[第三部]地域の合唱団は、誰のものなのか
[第四部]それでも、人はなぜ既存の合唱団を離れるのか
合唱の愉しみと忍耐(その1)
合唱の愉しみと忍耐(その2)
まえだん動画チャンネル随時更新中!
まえだん facebook随時更新中!
まえだん X(旧twitter)随時更新中!
まえだん Instagram 随時更新中!

コメント