ハーモニーの相性

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10月 122014
 

ハーモニーにも、相性というものがあるものだなぁと、
最近、練習で歌っていて、久しぶりにそのことを再認識した。

ホントに、ここ1、2ヶ月のことだったのだ。
とにかく、ある特定の団員とがっちりハモるのだ。

最初は、たまたま空虚な五度(私が根音)を、発声練習のあがりに響かせる機会であったのだが、
そりゃもう、ビリビリ倍音が鳴るわけ。
それだけでなく、何かその響きの中には、一緒に何か閉じられた空間が再現されるかのようで、
ある種の残響のようなものさえ伴って聴こえてくるのだ。
いや、逆に、何か開放された空間に放り出されたような心境にも似ている気もする。

そして、身体の芯にモロに響くというか・・・とにかく、共振するのである。

当初は、その練習場所の特性か、何かの聞き違い勘違いの類かとも思ったが、
今回二回目で、各々が異なる練習場所であったので、間違いないだろう。
そして、これは純正五度(完全五度)だと確信。
(平均律の五度と大して変わらないのですけどね)

しかし、それはピッチの問題だけではなく、いろんな条件が重なっての僥倖であり、
これも、合唱の妙味の一つでもあるかなと思い直しているところだ。

その団員との相性たるや、確実に少し前までは決して良くはなかったはず
(極端に言えば、彼はややトーンが暗い傾向で、私は若干上ずり気味)だったのに、
現在一体何が起こっているのか。

技術的に上手な人であれば、即座に相手とチューニングができて、やはりそこそこハモるものだが、
今回はちょっとそれ以上の感触を得ている。

お互い身体が響き合うといったような体験は、過去に何回か実際に体験している。
実は、このあたりに、アマチュアの合唱団が大化けする鍵がありそうだと睨んでいるのだが、
驚くべきことに、相手は、たいていが、別段技術的にさほどうまくはない人であったのだ。

しかし、歌いだすと、これがハモるのである。
もちろん、もともと声に豊かな倍音を含む感じの地声の持ち主が多く、
(ビギナースラックみたいな感じ?)
何といっても身体が共振するのが大きいのだろう。

物理学に出てくる、共振周波数がまず最初に思いつく理屈であるけれども、
他にどんな理屈が絡んでいるのか・・・。
いろんな好条件が重なり、お互いの声質やピッチなど、たまたまも含め、
ちょうど「あんばい」がよかったと言ってしまえば身も蓋もないのだけど。

ハモりはまさに水物であり、
この響きとの出会いが一過性の場合もあり得るという懸念も手伝い、
私はようやく、感じたままを彼に言い出してみた。

結果、彼も同様のことを感じていてくれたのだ。
同じように、今までには体験したことの無かった響き方であったと。
私はこのときピンと来たものだ。

もちろん、ひじょうに緩慢ながらも、そこにはお互いの技術の向上があったことだろうけど、
今回はお互い少なくとも合唱歴だけはベテランの域に入っているので、
もうビギナースラックみたいな現象とみるには無理がある。

何よりも重みを感じるのは、彼と共有した時間が今回の現象をもたらしたのではという仮説。

彼と同じ釜の飯を食い始めてもうかなりの年月となる。
その間、彼にもいろんな事があったし、私も様々な経験をしてきた。
しかし二人とも、男声合唱に魅せられ、切磋琢磨してきたことは事実である。

そんな我々に、別に何かの節目というわけではないけれども、
今回のことは、そっと神様が与えてくださったご褒美だと思いたい。

以上、もしかしたらありがちな些細な出来事であっただろうけれども、
こういうハモりの一単位が、あたかも脳細胞ネットワークのニューロンのように、
多くの団員間で同じようなハモりの絆が広がって、
まえだんのメンタルハーモニーに昇華していってくれたらいいなぁと思う次第。

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強化合宿行われる!(その2)

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9月 212014
 

その1)からの続き

こうして、13時から四時間余り続いた練習も、
あっという間に終わってしまったわけだけれども、
この時間を通じての反省と言えば、(今さら感はあるのだが)
やはり、指揮者の指摘に対する対応力の不足であろう。

とりわけ、我が所属パートたる「バリトン」について、
まず第一に、パートリーダーたる私の力量の無さを嘆くしかないのだが、
指揮者の指摘に対して、その求められる対応ができていない。
または、過剰に反応してしまう。
要するに、リクエストに50%も答えられていない・・・。

まるで、ボリュームの大小しかツマミのついていない
安価なアンプをいじっているのかのようなのだ。

こういう傾向は、バリトンに限らずどのパートも似たり寄ったりで、
バリトンは自爆とか凡ミスが他パートに比べやや多く、目立つので、
指揮者からも、悪いお手本としてスケープゴートにされている面が強い。

我々は普段、他人とコミュニケーションをとる際、
様々に身体の各器官を連携させ、呼吸と共に、
声音を自在に駆使しているはずだ。
(変化させる要素は音量だけではないはずだ)

当然、(その1)でも触れたように、体育館の端と端のように、
お互い、遠くの人に呼びかける際など、
相手に聞こえるように自分の身体全体を響かせようと自然に身体を開く。

その結果、相手の心の襞に入り込み、さらには、
相手の心を動かしたり、感動させたり(時には怒らせたり!)している。

そういう、もはや無意識に近いレベルで、
実は結構うまく対応できていたりするのである。
普段できていることが、突然できなくなるとはこれ如何に?

そここそが、我々が訓練しなければならないポイントであり、
決して、実声で張ったり低音を響かせる音域を広げることではないのだ。

そして、そこを鍛えるためにこそ、
体操から呼吸、発声練習が派生して、
小団のアップメニューとして存在していると考えたほうが良い。

それにしても、普段できるのにできない・・・ということは、
条件が違うからであろうことはすぐに想像がつく。
して、それは何か。

それは、明確な歌曲(合唱曲)という題材が楽譜として存在し、
その歌曲は、明らかに意図的な「表現」を志向しているということである。

そう、単なる意識の「表出」にとどまらない、意図的な「表現」。

しかも、「楽譜」という、表現者にとっては、
「甚だ不完全な代物」として存在しているのだ。

強化合宿という場ではあるが、
以上のような、ちょっと面倒な思考を展開してみた次第。

ともかく、練習はこうして終わり、次は待ちに待った宴会へ。
(その3)へ続く!・・・と!

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合唱の愉しみと忍耐(その2)

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8月 242014
 

前回=「合唱の愉しみと忍耐(その1)」からの続き)

構成する団員個人だけでなく、入団してくる団員の性質も、20数年間在団してみて、その時代時代の影響を強く受けてきたことを、実感します。(単に私が年寄りであることを告白しちゃってるだけかも知れませんが)

サイトというものは、本家ホームページにせよ拙ブログにせよ、小団の合唱団の内部情報をいろんな角度で提供しつつも、その実、入団を希望する方を、事前にフィルタにかけていると、そう言っても言い過ぎではないでしょう。

ですから、入団時に、その新団員のお方は、小団の活動内容をかなり把握してらっしゃる場合が多いです。

事前情報の中で、図らずも小団について何かを感じたからこそ興味を持ち、わざわざ練習見学においでになり、実物の練習を目の当たりにしてみたいと思い立つ・・・、そして、期待が確信に変わって入団に至る、というケースがほとんどでしょう。

確かに、広報・勧誘マネージャーとしては、オリエンテーションが一部省けて助かります。

しかし、そんな中で、私が特に気になっているのは、男声合唱の愉しみについて、もっとお気楽お手軽に得られるのではないかと、そう考えてらっしゃるのではないかと思われる方の増加です。

もう少々一般化して言えば、合唱を純粋な消費の対象として考えてらっしゃる方の増加とでも申しましょうか。その傾向は、肌身をもって私が感じてきたものです。

先回エントリでも記したように、自分が欲しいと思ったときに手軽に何でも手に入る時代です。同じ感覚で男声合唱の愉しみを求める者がいても、おかしくはないかも知れません。

合唱団のカラーにもよりますが、少なくとも、我々「まえだん」は、とにかく何から何でも楽しくというよりは、何と言っても指揮者の音楽観の影響が大きいのですが、音楽の厳しさや、集団の規律の中に真の愉しみを見出してゆくスタンス・・・(もしかしたら、うまく表現できていないかも知れませんが)そういう方向性を持っていると言えると思っています。

ですから、我々の練習成果を即、大きな感動として得ることは難しいです。

新団員の入団当初は不慣れな環境で刺激も大きく、暇を持て余すこともないわけですが、しばらく継続するストイックな練習の連続の中で、想定していた利益を得られず、逆にストレスが溜まってゆくことが常態化することだってあり得るわけで。

すなわち、短期間で投資を回収することはほぼ不可能だということなのです。

そのような現実に直面し、団としては、団員の継戦意欲を削がないよう、いろんな仕掛けを用意していますが、消費志向が強いメンバーは、それでも結構したたかで利にはさといのです。

ご本人の基準による費用対効果分析で割に合わないと判断すれば、一年足らずで(時には数ヶ月で!)退団を選択してしまいます。

そういった消費志向の強い団員・・・・言い換えれば、手っ取り早く合唱で感動したい団員・・・。私が入団して以来二十ウン年以上、全ての新団員との関わりを持ってきた中で、そういう方との出会いが多くなっているのを肌で感じております次第。

本年年初に起きた「偽ベートーベン事件?」などは、(覚えていらっしゃいますか?)消費者層の性向が、まさに「手っ取り早い」方向に向かって、徐々に変化しつつあることを裏付けているのではないでしょうか。

それは、閉鎖的と思われていた合唱界も決して例外ではないことが、やがて、違う形で我々の周りに顕在化する時が訪れるかも知れません。

「消費社会では、モノではなく物語が消費されます。ほとんどのひとはクラシック音楽に興味があるわけではなく、手っ取り早く感動を手に入れたいのです。」
(ハフィントンポスト「現代のベートーベンは自分マーケティングの天才」:2014年2月24日付より)

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 Posted by at 19:32

佐村河内の件

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2月 072014
 

曲そのものがよければ、その実誰が作曲していたところで、
どうでもよいはずなのだが、世間は必ずしもそうではなさそうだ。

誰が作曲したかが問題となっている。なぜ?

ヒット曲など、聴いていいなと思ったときなどは、
別に作曲者や作詞者が誰々でなどという先入観は全くないはずだ。
そのファーストインプレッションが全てなのだろうに。

音楽にまつわる付帯情報を重視するということか。

逆に、付随するストーリー性や付帯情報をありがたがるから、
音楽の本質を見失い、
高々、このような俗事で落胆することになるのではないか。

しかし、これを機に、日頃の傾向として、
音楽の本質部分を自分が見抜こうとしている人間なのか、
確認することができるかもしれない。

例えばもし、当初良いなと感じていたところの
「交響曲第一番 HIROSHIMA」を、再度聞き直してみて、
今回の作曲者偽装の件が邪魔して、良いと思えないようであれば、
普段から、あなたは、付帯情報に振り回される傾向にあるかもしれない。

もし、やはり良いものは良いなと思うのだったら、
それはそれでよいのではないだろうか。
あとは、どう評価するかであるが、それはあなた次第だろう。

問題なのは、むしろ聴覚障害者詐称の方ではないか。
これが事実とすれば、どのような手段で障害者手帳を取得したか等、
一刻も早い解明が求められるところだ。

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合唱の愉しみと忍耐(その1)

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12月 302013
 

筆者がこの前橋男声合唱団のマネジメントに関わるようになって、もう20年近くが過ぎようとしています。
 
この間、インターネットというものが一般的となり、合唱団運営にかかるマネジメントの省力化が大いに進みました。

なかでも、情報の共有化、ペーパーレス化は著しく、今や、団員への事務連絡など、メーリングリストへの配信だけで済みますし、誰もが同じ演奏音源や音取り音源を手にできるようになりました。

構成する団員も大きく変わりました。創立時に在団したメンバーは今となっては、たった一人しかおりません。(その方も、常時活動していたわけではなく、大半は活動を休止していました)たとえ一時期でも在団したメンバーは、のべ50名以上にのぼります。 

しかし、変わっていないもの・・・。それは、合唱をするためには、普段は違った環境に生きる団員達が、個々人の予定をやり繰りしながら三々五々集い、一つの場所で共通の時間を過ごさねばならないという一事・・・。これだけは不変です。

今や、欲しい物があれば、ネットでポチッとすれば、翌日には自宅に配達されて、手に入ってしまうご時世です。なんと気楽なことでしょうか。従来叶わぬ夢であったと思われたことが現実化しつつあります。 

その勢いで、「合唱の愉しみ」もポチッとできれば良いのですが、それを手に入れることができるのは、多くの努力と数々の苦難を乗り越えた者(合唱団)だけのはずです。

音楽は、決して「楽しい」ものであるとは限りません。(もちろん、楽しいに越したことはないですが)ましてや、決して「楽」なものではないのです。

(その2)へ続く

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2012年2月25日(土)通常練習

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3月 032012
 

先回の練習より、「日本民謡集」の音取りに入っている。

既に、

 ”斎太郎節”
 ”中国地方の子守歌”

の2曲については、公式的には音取りを終えている。
この日は、先回尻切れに終わった”最上川舟歌”と
全くの新曲である”おてもやん”の2曲に取り組む。

男声合唱に親しんできて、この両曲に精通するメンバーも少なくないが、
意外に、正確な音やリズムなど、間違って覚えてしまっている場合が少なくなく、
その矯正には結構時間がかかったりするものだ。(かく言う筆者も例外ではなく)

”おてもやん”
ご存じ熊本民謡の代表格。(Wikipedia)
戦後、流行歌としても一世を風靡したので、年輩の方にはお馴染みの方も多いはずだ。

楽譜の見た目、臨時記号や16分音符が多用され、
この時点で、固まるメンバー多し。(私もだ・・・苦笑)
しかも、熊本弁。(おおー!わからない)

まずはリズム読みから入る。
歌詞(一番のみ)はこんな感じ。

 おてもやん あんたこの頃嫁入りしたではないかいな 嫁入りしたこつぁしたばってん
 ご亭どんが ぐじゃっぺだるけん まあだ杯はせんだった
 村役 鳶役 肝煎りどん あん人たちのおらすけんで あとはどうなときゃあなろたい
 川端町っつあん きゃあめぐろ 春日ぼうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃあて 花盛り花盛り
 ピーチクパーチク雲雀の子 げんぱく茄子のいがいがどん

それでも、一時間もすると、自然に口ずさめるようになってゆくから不思議だ。

こりゃ、やっぱ日本人として共通のDNAがあるからかもねぇ。
何という陽気な曲だろう。まだ片言ながらも、徐々にテンションが上がってゆく気がする。
 
さて、以前記したことだが、元々我が国土着のこれらの歌は、
時代を越えて、多くの人々によって歌い継がれ、
その時々の空気や人々の生き方を織り込みながら、常に変化して現在の形に至っている。

このように、我々が合唱として楽しめるのも、
名編曲家らにより西洋的な記述法で楽譜化されたことが大きいが、
従来流転することが運命づけられている民謡の律動を止めてしまう面も否めまい。
(この点は男声合唱という特殊な世界をかんがみれば、無視できるほどであろう)

そのような中で、今後の指揮者の味付けの加え方に興味津々であることは、
先回の練習日誌に記したとおりである。

これはあくまでも私の偏見であるが、”斉太郎節”や”最上川舟歌”など、
一昔前の学生男声合唱の象徴的な存在として、
とにかく、気持ちで歌い倒すことがクローズアップされてきた感が強いと思っている。
だからこそ、その強烈な第一印象で思考停止してしまう場合もあるのだろう。

この際、音やリズムを矯正するという大切な機会を得たことを奇貨としつつ、
これらの曲達と旧交を温め、いろんな再発見をしながら、
新しい関係を築いてゆければと考えている次第である。

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中曽根敦子氏・上原良子氏との座談会詳細(その2)

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12月 072011
 

(「その1」からのつづき)

(司会)
ところで、上原先生は我々の合唱を、時には力強くリードしたり、時には優しく寄り添ってくれたり、
いろんなサジェスチョンを与えて下さっていると感じています。
僭越ながら、伴奏の際、どんな事を心がけてらっしゃいますか?
(上原)
いえいえ、普段そこまで出来ているとは思えないんですけど、敢えて言えば、
「こう弾くから、こう歌って!」
という感じですかね。そういう弾き方ができればいいなと。
(前橋男声)
でも、うちの団が、まだそこまで到底たどり着けない状況ですもんね。(苦笑)
しかも、それを感知するのってなかなか大変かも。
(中曽根)
音楽ってそういうセッション的というか、会話を交わすような一面があって、
合唱とか合奏では、それも醍醐味なのにね。
現時点では、「まえだん」には余裕がなさ過ぎて、上原さんからのメッセージに気がつかないだろうね。
(前橋男声)
まずは楽譜に書いてあることをきちんと修得せねばですね。
(中曽根)
そうですね。
そして更に、楽譜に書いていない部分を感じ取って肝心な音楽的な息吹を吹き込めたら良いですね。
(司会)
それから、上原先生は最近、声楽に再び挑戦されているとのことですが・・・? 
(上原)
そうなんです。学生時代に喉を壊して高音が出なくなって以来ご無沙汰だったのですが、
最近、また興味が出てきてレッスンに通っています。
(司会)
以前、「からす川音楽集団合唱部」で歌っていらっしゃいましたよね?
(上原)
ええ。歌いたくて仕方がなくて入団したのですけど、
結局、「あなたはピアノやって」とお願いされてしまって・・・。
(前橋男声)
歌いたい欲求ってありますよね。身体が道具だから生理的欲求に近いのかも。(笑)
(司会)
あらためて声楽に取り組まれて、何か気がついたことなどございますか?
(上原)
私の友人でオペラの主役級を張る子がいるのですが、「とにかく回すんだよ!」と言うんです。
大ホールでも近い席で聴くと大したことなくても、後ろの方でいざ聴いてみると、
ホール中が鳴っているんですね。
(前橋男声)
その逆が、いわゆる「近鳴り」。
(上原)
はい。最初は自分に聞こえにくいし、
声が響いているのかいないのかよくわからなくて頼りないのですけど、
わかりはじめると、自分の声がどこにもぶつからずに遠くで鳴っているというか。
その感覚がちょっと今わかりかけている気がしています。
(前橋男声)
あぁ、それわかる気がします・・・、と同意したいところですが、今後精進します。(苦笑)
(上原)
やっぱり人に発声を聴いてもらうことは重要。「あぁ、その声」って指摘してもらうことです。
自己流は早晩迷路にはまります。それほど、声楽の高嶺の裾野は広大で深遠です。
(司会)
現在までのレッスンで習得された良い発声のためのポイントを幾つか挙げるとすれば?
(上原)
あくまでも私の受けたレッスンとしてですが、
 ・眉毛を5cm位上に書くつもりで
 ・口腔内は縦に開けるよう意識する
 ・リラックスして、やや顎を引く姿勢 
(中曽根)
常に全部出来れば、「近鳴り」脱出の日も近い!?
(前橋男声)
いろんな方から示唆をいただくことで、気づきの確率は上がりますから、
指導者との出会いはやはり大切ですね。
(中曽根)
「まえだん」は学生時代の経験者が多いのですが、過去の栄光(?)に縛られすぎですね。
過去のプライドは大切ですが。ただ、ぬるま湯はすぐに冷めるので、早く出ないと風邪引いちゃいますよ。
(前橋男声)
耳の痛いお話でございます・・・。(寝たふり)
(中曽根)
素晴らしい大きなアドバンテージを持っているのだからこそ、そこで思考停止せずに、
真の意味で音楽を創造していって欲しいです。
(司会)
発声への悩みは尽きませんが、今後の前橋男声を展望して頂きたいのですが・・・。
(中曽根)
とにかく社会人合唱団は歌い続けることが重要。
その点、過去に大きな挫折を味わっている前橋男声はその意義を理解していると思う。
(上原)
もっともっと音楽に浸れるようになれると良いですよね。
(中曽根)
そう。でもそこが落とし穴で、自分勝手に声を出す自己満足的な浸り方ではなく、
合唱団員一丸となって、演奏や活動にどっぷり浸って下さい。
(司会)
長時間にわたり、ありがとうございました。

(終わり)

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 Posted by at 07:18

中曽根敦子氏・上原良子氏との座談会詳細(その1)

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12月 042011
 

こちらで報じたとおり、今夏、強化合宿と併せて行われた掲題について、
先般の第6回演奏会パンフレットに掲載済みではありますが、
このたび、本ブログにも 掲示することとしましたので、お楽しみ下さい。

座談会メンバーは、常任指揮者の中曽根敦子氏、ピアニストの上原良子氏、
団からは、山岸団長ほか5名が 出席した。

——————
 
(司会)
早速ですが、前橋男声合唱団の指揮者となって、17年ということになりますが、
「まえだん」は少しは成長してきているでしょうか?
(中曽根)
17年・・・ですか。でも、その大半は指揮棒を振ってないんですよねぇ。(笑)
(司会)
うわ、のっけから皮肉炸裂ですか!?
(中曽根)
ええ、万年音取リストでしたからね。
(司会)
じゃぁ、実質指揮者に就任されたのはいつ頃ですか?
(中曽根)
そうですねぇ、五年前くらいに入団ラッシュが起きて、人数も20人を超えたあたりからですかね。
ちょうど第4回演奏会(2007年)くらいからかな、指揮に没頭できる瞬間が増えてきたのは。
(司会)
既に指揮者に就任しててホッとしました。(苦笑)それで、せ、成長の方は・・・?(冷汗)
(中曽根)
「合唱団」としては、確実に成長していると思います。社会人男声合唱団の宿命として、
どうしてもメンバーの入れ替わりが避けられませんが、
音楽への考え方や団としての方向性に芯が通ってきたように感じています。
(司会)
上原さんとは、第2回演奏会(1999年)で初めてご一緒して以来ですが、
当初の前橋男声合唱団の印象はいかがでしたか?
(上原)
当時はトップテノールにずば抜けて上手い方が一人いらっしゃって、
その方の声しか聞こえませんでしたね。
失礼ですけど合唱団というよりは、「○○と仲間たち」といった様相でした。(笑)
最近は印象が全く違いますね。以前より合唱しているなと。
(中曽根)
確かに。演奏も、運営も、ワンマンの性格の団だったものね。
(前橋男声)
組織力がついてきたということですかねぇ?
(中曽根)
あ、集中力もね。特に合唱祭・・・ね、上原さん。
(上原)
あぁ、(笑)プラカード嬢の女子高生に集中しすぎて、
私達の存在なんかすっかり忘れられてますからね、いつも。
(中曽根)
全員でプラ嬢ににじり寄る様は圧巻!やっぱ、女の子は若いに越したことはないもんねぇ〜〜
(前橋男声)
なんか濡れ衣っぽいなぁ。そりゃS井さんだけでしょぉ〜
(司会)
えー、では・・・強制的に話を戻したいのですが、
上原先生は、男声合唱では、どんな曲に興味をお持ちでしょうか?
(上原)
やはり、ア・カペラ曲ですね。男声のア・カペラは素敵です。
(前橋男声)
今までご一緒したレパートリーの中では、どんな曲が印象に残っていらっしゃいますか?
(上原)
断然、ニグロ(Negro Spirituals=黒人霊歌)ですね。
ピアノ付きでしたが、不要なんじゃないかと思ったくらいでした。
(中曽根)
音楽的には、倍音を重視する男声合唱には、ピアノは不要という考え方もありますが、
やはり華やかになりますよね。ピアノが対旋律で遊んでみたり、何といっても音楽に幅が出るし。
(司会)
演奏会プログラムにも奥行きが出てきますよね。ほかに、記憶に残る曲はありますか?
(上原)
あとは、チャイコフスキー歌曲集ですね。男声合唱にこんな繊細な曲があるのかと、意外でした。 
(司会)
上原先生がお持ちの一般男声合唱団の印象は?
(上原)
沢山の男声合唱団を聴いたわけではないのですけど、聴いた限りでは、やはり勢いや迫力がある、
とにかく元気の良い男声合唱ばかりという感じですね。
もっと、ピアニッシモを上手に響かせられる男声合唱を聴きたいです。
(中曽根)
男声合唱は音圧も魅力で、それを目当てに聴きに来るお客様が多いけど、やはりピアニッシモ!
(前橋男声)
我々もそれを目指したいんですよねぇ・・・。
(中曽根)
発散系の合唱はどちらかというと容易。
逆に、客が思わず引き込まれるようなピアニッシモの音楽をしたい。
(前橋男声)
それでも、ドーンと大音量で鳴らす方が、歌っている実感にマッチしているのでしょうね。
小学校時代から、「大きな声で」って指導され続けてきたからかな。
(中曽根)
大きな声で歌うからこそ、ピアニッシモが成立するわけですが、ただ小さく歌えばいいってもんじゃない。
ピアニッシモで歌う行為は、最も深くて濃いんですよ。祈りに近いかも。
(前橋男声)
でも、それにはフォルティッシモを響かせる以上の身体的要素が必要不可欠なんですよね。
(中曽根)
そういう意味では、今回の「タンホイザー」なんか、格好の材料。
豪華絢爛なフォルティッシモから、思わず息を呑むようなピアニッシモまで、
いろいろ取り揃えてございますわよ。(笑)
(前橋男声)
「大行進曲」「フィナーレ」に挟まれて「巡礼の合唱」がやはり肝ですね。あのピアニッシモこそ!
(中曽根)
そうそう。男声ならではの柔らかさと繊細さが魅力的。
(前橋男声)
既に相当鍛えられていますけど・・・。(汗)いずれにせよ、歌いきるスタミナも大切ですね。 

(つづく)

 

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OB合唱団の憂鬱

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8月 132011
 

先日、東西四大学OB演奏会(いわゆるOB四連)が大阪で開かれた。

ここ数年、OB合唱団もしくは、OB演奏会等の結成ないしは開催の話で かまびすしい。そこには、かつての大学男声合唱界そのままのローカルな世界が待っている。往年の名手達が集い、今もまだまだ健在である歌声を披露して、聴衆を魅了し、あるいは、驚異的な音圧で圧倒し、非日常に連れ去ってゆく。

私は、旧交を温めたり、懐古の情にひたるOB演奏会のあり方を否定するものではない。

東西四大学といえばご存じのとおり、一時は国内の男声合唱シーンをリードする存在であった。

私の大学時代は微妙な憧憬の気持ちと共に、遠くから彼らを眺めていたものであり、四大学を中心としつつ、国内には同心円上に幾つもの似た志向の男声合唱団やグリークラブが、群雄割拠していた時代であった。

たまたま、私の母校の男声合唱団では、 (アンチテーゼを唱える者はいずこにも存在しうるのは必然だろう・・・) 四大学の演奏思想やマネジメントに異論を持つ流れが、指揮者や技術陣の中に確かに存在し、たとえそれが、やっかみや嫉妬といった、いささか幼稚で感情的なところから発していたとしても、彼らとは明らかに異なるアプローチを実践していたように思う。

したがって、そのような精神の中で育まれた私としては、四連というものに対し、ある種倒錯した感情を抱きがちであったし、今もその影響を受けていると認識してはいるが、 これまで四半世紀もの間にいろんな男声合唱と接するにあたり、一つの結論に至っている。

それは、OB合唱団に対して、現役時代に律していた秩序と相似なものを持ち込んでも、所詮は、良くとも現役時代の焼き直しに成功する程度で、創造という域にはほど遠いという事だ。(今回のOB四連演奏会がそうだと言うわけではない・・・為念)

同じ釜の飯を食った者同士の声は、数十年の時を経ても意外に交わりやすいものだ。しかし、そこが逆に落とし穴なのである。その気持ちよさで全ての思考が停止してしまうケースには事欠かぬ。

そこにきて、力業で歌いっぱなしの男声合唱への欲求、そして圧倒的な音圧の刺激を求める聴衆の存在。ここに、表面的な音楽の取引を求める需要と供給の関係はまんまと成立し、思考停止は正当化されるのだ。

確かに、音楽業界を支える市場として、この層の存在は必要だろう。しかしながら、合唱指揮者層にそれを追認するぐらいしか能がないところに、現在の男声合唱界の悲劇があるとは言えまいか。

かつての合唱コンクールでならした世代が社会の第一線をリタイヤし、第二の人生として、再び男声合唱を志向する動きは活発化している。男声合唱の復興・隆盛のためには母集団が大きいことに越したことはないので、個人的には一応歓迎はしてはいるところだ。

ただ、こうした数多のOB合唱団活動のカオスの中から、いずこの団体が頭一つ抜きん出て、創造的な演奏を聴かせることができるようになるのか、全国の指揮者層を俯瞰するに、今の私は溜息をつくほかないというのが現状なのだが、とはいえ、裾野の拡大傾向の中に、一縷の望みを実は託していたりするのである。

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 Posted by at 22:30

ブログ開設三周年を迎えて

 ウェブログ・ココログ関連, 日記・コラム・つぶやき, 音楽論  ブログ開設三周年を迎えて はコメントを受け付けていません。
6月 252011
 

早いもので、本ブログを立ち上げてから、丸3年が経過した。
前任者の路線を踏襲し、「練習日誌」をメインコンテンツとして、
再出発をはかったのが2008年6月のことであった。

それ以来、サーバーを二回ほど移転して現在に至るわけである。
当初、生来ものぐさである私に「練習日誌」を毎回詳述できるわけがないと見越して、
敢えて「気ままな」という形容詞を冠しておいたことは正解であった。

今となっては、毎回の練習風景を記事に起こすことはむしろ希である。
なぜこうなってしまったのかと問われれば、
やはり、私の本当に書きたいことと異なっていたからであろう。

本来、団の役員を担っているからといって、何でも書いて良いわけはないが、
いろいろと自由に書かせていただき、団員各位には心から感謝している。

さて、私の筆は、様々なカテゴリを通して多岐な話題に触れることになった。
本家ホームページとの融合や、過去記事の取り込み等、積み残された課題も多い。

中でも「演奏会レポ」は、「練習日誌」よりアクセス数は格段に多く、反響も大きかった。
ただ、私としては極力自分に正直に、率直に記したつもりである。

日本人は、長らく村社会の仕組みの中で、
他人を表立って批判しない社会システムを作り上げてきた。
この狭い日本という島国の中での農耕社会としては、
相互扶助を基盤とすることで、一定の秩序を保ってきたのだ。

クラシック音楽ならまだしも、合唱演奏会批評がこと日本国内ではその機会に乏しい中で、
このようなエントリが目立ってしまうのは無理もない。

「前橋男声のブログでの演奏会評は、ちょーヤバイ」

Twitterなどで巷間そのように噂されていることは知っている。
しかし、人がゼロから何かを 論じたことに対して、
コメントしたり反応することはいかにもたやすいことだ。

ヤバくてもそうでなくとも、悪く言うか言わないか、煽っているかいないか等々、
それは読み手の感じ方に過ぎない。
その事実や事象をえぐり、真理に迫っているかどうか、・・・これだけである。
ただ、私の書きっぷりが未熟で、そこに遙かに届かぬ水準であることは口惜しい限りである。

多くの方は、公の場所(ネット上)で堂々と他人の演奏を批評することは、
外国の方ならいざ知らず、日本人の心としてはあんまり好きではないとお感じになるだろう。
どんな相手であろうが相手を尊重するのが世界に誇る日本人の心だと。

だが、その日本一流の心遣いが力を発揮する場合とその逆になる場合があると思うのである。
その人の良さにつけこむ輩が現に存在し、いろんな問題を引き起こしているではないか。

今の合唱の世界を俯瞰するに、(とはいえ、私でさえ日本全国津々浦々聴き歩いたわけではなく)
声さえそこそこ良ければ、あとは易きに流れ、どうにかなってしまうだろうという、
いかにも希望的観測に満ち、まさにお手軽な空気が横溢しているのではないか、
そういう現状認識が、私の演奏批評の基本的な部分を占めている。

ある特定の作曲家や指揮者がもてはやされ、有り難がれ、
言葉は古いが翼賛的な評価で満ちあふれる昨今である。
そんな箱庭のように狭い日本の合唱界で馴れ合っていて何が始まるというのだろう。

物事や現象を正確に描くには多角的な視点が必要であるのではないか。
では、こんなブログがあっても良いではないかというのが、思いつきではあったにしても、
演奏会批評を始めたきっかけであったと記憶している。

ただし、そこを私個人ではなく、前橋男声合唱団の名を借りてというところが狡猾だと、
もしそういう指摘があるとすれば、これに対しては、私は全く反論の術を持たぬ。

澤谷夏樹氏は数年前に、音楽批評のことを「不躾でいかがわしい行為」であるとたとえ、
批評の目的を、『音楽を「所有」すること』であると看破している。
つまり、音楽批評は、作曲者や演奏者が持つのと同様の 「音楽の所有権」を、
聴き手が主張するための方法論で あるというのだ。

他人の悪口を連ね、上から目線で小難しい言葉を並べるいけ好かないブログ・・・
不本意ながらも、一般的にこのような印象を持たれる可能性については否定しない。

念のため繰り返すが、読み手の好き嫌いは仕方のないことである。
本ブログの主旨が、読み手の好みに合わぬ・・・それだけの話であろう。

そして私も、聴き手の側から、眼前に展開される合唱の所有権への飽くなき欲求を自覚している。
澤谷氏の主張するように、元来いかがわしさを内包した音楽批評を遂げるために、
今後も、もっとも効率的な戦術を編み出すこ とに腐心してゆくことだろう。

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 Posted by at 12:21
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