どんな趣味の世界でも共通する現象であるが、その趣味に没頭してゆくにつれて、趣味の本質には当たらず、いささか距離のある「情報そのもの」に対して傾倒してゆく場合がある。
どこどこの合唱団のテノールは、(男声合唱でいう)ハイCを張っていたからスゴイ・・・とか、今度木下牧子の「光る刻」という新譜が出たが、その初演団体は○○で・・・とか、××市民ホールは、残響が豊かだから良いホールだ・・・とか、あのCDに収められているオケの指揮はカルロス・クライバーだから良い演奏だ・・・とか、
・・・なんちゅうか、そういう、「情報そのもの」に魅力を感じている方が、この合唱の世界には結構の数、棲息していらっしゃる。
(かくいう私も、痛飲時などは、こういう話に花を咲かせてしまうのだが・・・汗)
彼らは音楽的核心部分には触れられず、同心円を描きながら、周辺知識をひけらかし、その核心部分の幻影を実像として映し出そうと汲々として生きている。そして、周りからスゲェと囃されて、刹那的な優越感という栄養分をすすって居場所を得ている。
無論、合唱団として音楽の高みを目指すために必要な知識の裾野は広い方が、狭いよりは良いだろう。だが、紋切り型というかステレオタイプというか、そういう人種が合唱の世界だけでなく、クラシック音楽の世界には少なくない気がしてならぬ。
念のため付け加えるが、個人レベルでの音楽へのそういう接し方を全否定するつもりはない。ただ、当人が合唱団に所属する場合は、つまらぬ情報や紋切り型思考に頓着するが故に、素直に音を感じるということができなくなる場合もあり、団全体の視点からは甚だ問題である。
ただ、勿体ない話ではないか。そんな知識が豊富なのなら、肝心な歌に生かせばよいのに。
それにしても、彼らに共通点を見い出すことが出来る。それは、実際の歌にいかに生かすかという、まさに核心的な知識や情報だけはすっぽり抜け落ちたように不知という点だ。もしくは、知っていたとしても、自ら実践は出来ないという点だ。これは一体どうしたことなのだろうか。
このように音楽的知識や合唱情報を集積することのみに執心すると、場合によっては知らず知らずのうちに、合唱の本道を脱線する危険性が大きい。
しばしば、合唱を趣味とする者は、一般に「キモイ」という一語でバッサリやられることがある。我々のルックスそのものが気持ち悪いというより、人々からは、そういう言行不一致な部分こそが、まさに「キモイ」と看破されているのだ・・・、と、私は半ば諦観を伴いつつも、そう解釈しているところだ。
彼らはマニアとは呼ばない。ハイCに目がゆくのもいいが、マニアなら、歌とか合唱そのもので蘊蓄を述べてみよ!
周辺情報を知る知らぬはどうでもいい。要は合唱を感じることが出来るか否かである。どうせなら、感性豊かで技術の確かな真のマニアたれ・・・と強く思う。
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コメント
自分はマニアではないですが、しかし野球ファンというのもこれに近くないすか?自分が監督になれるはずもなく選手としてプレーできるはずがないのですが、いわゆる「いっちょまえ」に能書きを垂れるという・・・。確かにどうもお高くとまるクラシックファンと言うのもおられますしね、というかそんなイメージが強いですけど。
私の場合全く逆ですね。良い悪いはどちらとも言えないでしょうが、私はこのブログで言うところの周辺知識は皆無です。そのことに劣等感も感じております。
しかし、歌うことには何か「匂い」みたいなものを本能的に感じて、動物的勘で感性を働かせて歌っていますね。
僕は自称合唱マニアです。しかしながらマニアと呼ぶには、恥ずかしいくらい
世間には真性マニアが、本当にたくさんいらっしゃいます。
マニアと呼ばれる方は一般的にたくさんの演奏を聞きまくっていて(音源持っていて)
この年のこの団の演奏の発声は例年に比べてどうだとか、本当に詳細に語れます。
TPOをわきまえて話すのであれば、全く否定はしません。
趣味である合唱に対してのアプローチは、色々あると思ううので「実践ができなくても」
合唱が好きであるということは、素晴らしい事であると思うので、逆にどんどん語って
欲しいです。結構、そういう議論好きなので。
ただ、本当に好きなのは、この曲はどの様に演奏されるべきかとか、この曲はどの音色で
歌われるべきかとか、実践的な話の方がおもしろいですね!
歌う事は感情がもちろん必要ですが、個人的に合唱はもっとメカニカルであるべきだ
と思います。(感情を込めるより必要だと思います。)
ちょっとずれてきましたが、
みなさん、いい音楽を作るためにもっと議論しましょう!
#tak16様、コメントをありがとうございます。
おっしゃる趣旨を今ひとつ把握しかねますが、野球ファンは何ら問題ないのではないでしょうか?
合唱を聴きに演奏会においでになる方が様々な事をおっしゃるのと同じ事かと。
#Aik8manさん、コメントをありがとうございます。
>歌うことには何か「匂い」みたいなものを本能的に感じて、動物的勘で感性を働かせて歌っています
至言ですね。恐れ入りました。
#ダニエルさん、コメントをありがとうございます。
なるほど、語ろうが議論しようが、結構な事かと存じます。
ただ、より多くの情報を知識として得ている方を崇拝しがちなこの世界を、
私は、ちょっと違うだろと感じています。
だから、単に情報が好きであるだけの事を合唱が好きであると勘違いしている方には、
正直なところ、あまり語って欲しくありません・・・。(汗)
特に、それを聞かされる合唱初心者にとっては、それこそ勘違いの元です。
こういう点も、合唱団全体の視点からは問題であると思っています。
Tetsu様。まずはこの記事とは直接関係ないのですが、「にほんぶろぐ村」で週間1位を達成されたようで、おめでとうございます。
さて、私は「動物的勘で」などと偉そうなことを抜かしておりますが、事実は「周辺知識がない」ことや「移動ドを含む楽典などに疎いこと」、「楽器に触ることすら抵抗があること」などから、「感覚的に音を捉える人がいてもいいじゃないか。」と独り言を言い訳がましく言っているに過ぎないんですよ。(/ω\)ハズカシーィ
ダニエル様。
>合唱はもっとメカニカルであるべきだ
私も同感です。
もうひとつTetsu様。
>より多くの情報を知識として得ている方を崇拝しがちなこの世界を、私は、ちょっと違うだろと感じています。
賛成!