映画「ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて」(その2)

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ここで予告したとおり、表題の映画を過日鑑賞してきた。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下BPh)は1882年に創設された世界一流のオーケストラである。

草創期は、専任指揮者を置かなかったが、 ビューロー→ニキシュ→フルトヴェングラー(→チェリビダッケ)→カラヤン→アバド→ラトル・・・ という錚々たる歴代首席指揮者が率い、紡ぎ出される美しい音は、世界中の音楽ファンを熱狂させてきた。

映画のちらしに記載されていたコピーは、 「最強のオーケストラであり続けること・・・この中に演奏家たちの喜びと苦悩のすべてがある。」というものだった。

当初私は、このコピーを真正面から受け止めたからか、 世界最高峰のオケに在籍する演奏家達の想像を絶するほどの苦悩の日々が、 本映画ではドキュメンタリータッチに描かれているものと勝手に期待していたものだった。

しかし、鑑賞後に私の抱いた感慨は、全く違っていた。 それは、 「世界一のオケの楽団員である彼らの苦悩というけれども、 我々前橋男声合唱団員が普段抱いているものと、さほど変わらないじゃないか」 という、意外なものであったのだ。

映画は、2005年11月に行われたアジアツアーに撮影スタッフが同行して、楽団員を追う形で制作された。 その訪問地は北京、ソウル、上海、香港、台北そして東京の計6都市。

しかも、このツアーでの演奏曲目であるR・シュトラウス作曲「英雄の生涯」が、全6部であることになぞらえ、 この曲目に沿って6都市を巡る英雄達(ここでは楽団員達)のその”生涯”(ここでは素顔)に迫るという、 偶然ともいえる符合を背景にして、映画に奥行きを作り出しているところは見応えを感じさせた。

他の演奏曲目には、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」 新進のトーマス・アデス作曲「アサイラ」。

いきなり、入団希望者のテストで始まるオープニング。BPhでは、新団員は、入団から正式入団まで一定の試用期間を経なければらない仕組みだ。 その間、あらゆる角度から音楽性や人間性を試されるという、まさに針のムシロ状態を過ごした後、 団員全員の採決という洗礼を受け、やっと晴れて正団員となれるというシステム・・・、 こういうオケとしての自治というものが完全に確立されている点は特筆すべき所だろう。 (その中で、コンサートマスターになるには、更なるオーディションと団員の合意が必要)

そして、BPhは新団員とともに、すぐにアジア・ツアーに飛び立ってゆく。 続く、ラトルによる緊張感溢れるリハーサルシーン。

プロのオケが同一楽曲を演奏するツアーにおいて、リハーサルが全都市の全会場で行われるというのは異例のことだろうし、 映画としても、このシーンを中心的映像として捉えている。

ベルリンフィルの並々ならぬ音楽的情熱の一端がうかがえる貴重なシーンではある。特に、リハーサルで奏でられる重厚な第一声には、映画でありながら、鳥肌モンであった。

中でも、お家芸のベートーヴェンや、R・シュトラウスではなく、 現代曲でしかも難解とも言える「アサイラ」には、楽団員が手こずり悩む様子が伝わってきて、 そんな状況下、打楽器経験の豊富なラトルが、手際よく全体を構成してゆくプロセスの描写は、 この映画に音楽的な深みを色濃く植え付けることに成功していると思う。

さて、長期にわたるツアーで楽団員の体力や精神が消耗してゆく中、モチベーションを維持せねばならぬ彼ら。 カメラは、様々な英雄達の人間臭い面を克明に記録してゆく。

こんなワールドツアーには、前橋男声が出かけることなどあり得ないことだが、 音楽に対する姿勢としては大差ないというのは、「最高のハーモニーを求めて」という、(陳腐だが)至極普遍的なテーマとしてのタイトルと通底するというだけでなく、映画内に出てくる楽団員による示唆に富んだ語録に端的に表現されている。

その中から抜粋して、以下に掲げてみる。いかがなものだろうか?

「苦しい時期を乗り越えることが大事だ。その体験が自分を強くしてくれる」
「夫は”なぜそんな努力を?どうせ君の音など聞こえないのに”。傷つくわ。プライドの高い他の人なら。」
「もし”満足”という名の島に住んだら、もう成長は望めない」
「練習すればするほど自分をけなしたくなる。職人が羨ましい。
 何か物を作って出来たものを眺めれば、作品の完成度を見極められるから。」
「前代未聞のことをして、”あいつはイカれている”と思われるのが楽しいんだ」
「”神よ 今死なせて” ”僕は人生最高の瞬間にいます” 
 ”宇宙と一体化してます” そんな瞬間を何度か味わい、その一員となる光栄に恵まれたなら、人生十分だ」
「出会ったのは愛じゃない。人と結ばれることへの渇望だ。」
「うまくいった時の快感、それだけで報われる。
 厳しい道だけど背中を押す声がするの。”あの快感を忘れたのか”と。」
「いつも神経が張りつめている。楽団と家族との二重生活で。
 人から見れば”芸術家”。でも私は自分をそんな立派な存在とはとても思えない。」
「私自身が伝統だ。カラヤン時代からいるからね。まだ耳に残っているあの音を追究し続けているんだ」

圧巻なのは、アジアの観客の熱狂である。 これは、台北での出来事なのだが、演奏後の観客の様子は、アイドル歌手コンサートと見まがうほどだ。 これには、普段賞賛されることに慣れているBPhの”英雄達”も、 さすがにこれには冷静さを失い、アジアの熱狂の虜と化している。

無論、国民性もあろうが、日本におけるクラシックコンサートではまず起こりえないシーンですな。最終の訪問都市・東京では、日本人にとってはややうんざりするような、 ドイツ人側から見た、一方的でステレオタイプな日本が描かれるが、(さすがに芸者は出てこなかったが) 実は、BPhにとっては、東京は50年以上も前からの『知った土地』なのである。

最後に訪れた東京は、アジアの中で唯一彼らが心を許すことの出来る都市であったのだろうか。それはさておき、日本ツアーの会場となったサントリーホール。 あそこには、カラヤン広場と呼ばれるオープンスペースを有するが、 その一角にあるヘルベルト・フォン・カラヤンを顕彰するプレートが映画の一カットとして登場する。

これを、かつての帝王の墓碑銘としてとらえるなら、 この一連のツアーの終焉の地に東京を選んだことも、合点が行く。 そして、その遺産は、現在のBPhの中に息づいている。

創立以来130年になろうとする、このオーケストラの自律的な新陳代謝システム。 こうして、試用期間を終えた新団員達の合否結果をラストシーンとして、この映画は幕を閉じられるのだ。

社会の中の一定のコミュニティで生活に合唱に奮闘する我々。 対してBPhの英雄達がいかに誕生し、いかに戦い、いか隠遁してゆくか・・・。 そして、音楽の前で誰にでも等しく生じる、人間とは何かという永遠の課題。

敢えて誤解と嘲笑を恐れずに記せば、この点においては、技術の優劣など意味をなさず、 小団常任指揮者の中曽根の薫陶を普段受くるところの前橋男声合唱団団員としても、 全く彼らに引けを取らないものと信じて疑わぬ。

 

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