法関OB交歓演奏会(その3)

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<第三ステージ 二群の男声合唱とピアノのための「路標のうた」>
(演奏:合同演奏 指揮:田中信昭 ピアノ:篠田昌伸)

<第四ステージ 合唱のためのコンポジションIII> (演奏:合同演奏 指揮:田中信昭)

故岩城宏之氏の著書「フィルハーモニーの風景」の中に、 岩城がヘルベルト・フォン・カラヤンに直接指導を受けた際のエピソードが紹介されている。

以下一部引用。
「ドライヴしてはいけない。オーケストラをキャリーしろ」

これは、そのとき、岩城氏がカラヤンから受けたアドバイスのくだりである。

『当時のぼくにはよくわからなかったが、最近少し理解できるようになったような気がする。カラヤンは指揮を乗馬にたとえたのだった。 馬に跨り手綱を引締め、どの瞬間も馬をコントロールし続け、自分の意思の通り馬を動かす。これをカラヤンは『ドライヴ』と言っている。 反対に手綱を緩め馬を自由にさせてやる。馬は乗り手の存在を忘れ、自分が行きたい方へ好きなスピードで進む。しかし本当は完全に乗り手に統御されている。指揮とはこうあるべきだとカラヤンは言ったわけである。』

本演奏会の後半は、田中信昭氏が前半の二人の指揮者との格の違いを見せることになった。 まさに、合唱団をキャリーしていたのだから。

この「路標のうた」は1986年の法関交歓演奏会が初演。 確か場所は浅草公会堂だったか、当時駆け出しの私もその会場の隅でステージを見つめていたのだった。 アンコールもやはり「路標のうた」だったなぁ・・・。

10分にも満たない曲なのであるが、木島始の書き下ろしの詩に三善晃が曲をつけ、両校の交歓演奏会の切なさに重なってゆく佳曲である。

それは、詩の冒頭部にもあらわれている。当時、遠くはるばるきた人は、もちろん、関大グリーということであった。

「遠くはるばるきた人の目は 我が身のゆがみ 映す鏡 遠くはるばるきた人は 身内にはない 鈴を鳴らす ・・・(以下略)」

今回両ステージの前に、田中氏から親しくマイクを握っての解説があった。 過去にも、このような趣向があったのを記憶している。

田中先生練では、メンバー個人を特定して、名指しで修正させることもあったようだ。 「指揮を見るな」などという指示もあったと聞く。

もちろん、一見過激なセリフではあるが、練習の中の文脈を知る者でなければ、 めったなコメントは出来ないだろうし、 それを切り取って皮相的に受け取ることを拒絶するニュアンスが、既に込められていることを、 合唱を少しででもかじった者であれば、感知させるには十分なフレーズである。

そして、メンバーの特性を熟知した上で、本番で合唱団をキャリーすべく、 そここそが練習運営の機微を知り尽くした指揮者の真骨頂なのだろう。

それから、四ステの「コンポIII」。 全体での合せは一回だけだったのだと、田中氏は仰せであったが、 昔から、和声的には、詰めが甘いところがあるのを私は知っている。 (そういう土俵ではないのだから!)

直近で聴いた昨年の東西四連の合同演奏(指揮:佐藤正浩)のスタイリッシュな演奏と比べれば、 音色やピッチなどについても、さほど叩いて修正した跡がみられない。 これも、先述の通り想定内でもあり驚くに値しないのだが、 あらためて、合唱哲学の深遠さと田中ワールドが相変わらず健在であることに嬉しくなったのだ。

皮肉でも何でもなく、音楽的に大変勉強になり、収穫の多い演奏会であった。 (もちろん「その2」で批判的に記した前半2ステージも含めてである)

 

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