法関OB交歓演奏会(その2)

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<第一ステージ>男声合唱による日本抒情歌曲集より
(演奏:法政大学アリオンコールOB 指揮:酒井威志 ピアノ:篠田昌伸)

およそ勝負事というものは、相手に自分の意図を強制的に飲ませることにある。 それには、いかに、自分の土俵に相手を引き込んで決着を付けられるかが鍵になるだろう。

交歓演奏会というものは勝負事ではないのだが、まさに学生の現役時代、 血気盛んな若者達は、表向きは冷静を装いながらも、対抗心をたぎらせ、 真剣勝負さながらの気概で交歓演奏会本番に臨んでいたように記憶している。

編曲者の林光とアリオンコールとは、委嘱作品数点の初演を手がけるなど、縁がないわけではない。 もっと言えば、毎年の定期演奏会において、クラシカルな合唱曲をほぼ毎回取り上げており、 決して 演奏機会に乏しいわけではないのである。

しかし、4〜5年毎に(場合によってはそれ以下)、同じ現代曲を歌い回す傾向もあり、 おそらく在団中に一度は歌唱機会が巡ってきて、OBにとって組みしやすい共通の曲があるはずである。

これは私の思い込みであるのだが、アリオンは、そここそが自らの土俵であったのではないかと。 お馴染みで懐かしいラインナップが次から次へと奏でられ、会場内がみずみずしさに包まれるようだ。 かつて男声版が入手困難な頃やむなく混声版を改編して歌ったという、私にとっては訳ありの曲集でもある。

寄り添うピアノは、繊細で、時には強くしなやかに合唱をいざなう。 しかし、トップをあまりスピントさせず、単パートが露わになると音色の統一感がもう一つであったことで、 私の興味は、指揮者の鼎の軽重に 移らざるを得ない状況となっていったのだ。

さて、指揮者の酒井威志氏を私は初めて聴くのだが、 「法政大学アリオンコールトレーナー」、それからこの「OB合唱団指揮者」という肩書きがあり、 田中信昭氏の信任も厚い様子で、その後継者候補の筆頭ということなのだろうか。

その酒井氏、音楽大学出身ということもあってか、基本に忠実な指揮で、 決して大振りせず、コンパクトで端正な棒さばきである。 しかし、その分、このような抒情的な日本歌曲の曲中にある上気するほどの場面でも、 どこか他人事のような進行ぶりで、音楽に耽溺し切れないのだ。

途中、指揮棒をふるいながらも、左手で自らの後ろ上方(客席の二階席方向)を時折指差し、 メンバーを督励する場面が何度か見られたが、そのくせ指揮がexpressivoの指示を体現しきれない様子。

私の直観を毎度毎度、上から目線から垂れ流すようで恐縮であるが、 大変失礼ながらも、氏はあまり男声合唱をご存じない、乃至は体験が希薄なのではないか。男声合唱の指揮をする上で心得るべき独特の聴かせどころというかツボというもの・・・ これらが押さえられていない・・・そのように感じられ残念であった。

ピアニストの気鋭、篠田昌伸氏は出色。 確かな技術と、音色に煌めきと艶がある。 終始、アリオンの演奏を引き立ての好演は印象に残った。

<第二ステージ>男声合唱組曲「富士山」>
(演奏:関西大学グリークラブOB 指揮:下井田秀明)

難曲である。テナー殺しと人は言う。 とはいえ、男声合唱愛好者にとっては垂涎の一曲であり、 その名のとおり、日本における男声合唱の最高峰の一つであることは衆目一致するところではないか。

富士山は、生半可な装備での登山者を拒むようなところがある。 実際の富士山も、この組曲「富士山」もだ。

折しもエールを聴く限り、関大パーティーは、十分な装備のもと、 いずれその頂を極めるだろうと予感していたものだ。 しかし、それに反し、関大パーティーの一行は意外にも、その山行に難儀することになる。

西の「千里エコー」と東の「EAST合唱団」という二つの合唱団(いずれもOB合唱団)が合同し、 核となって、この日の関大グリーOBを形成しているという特殊事情もあり、 練習時間を共有する機会に恵まれなかったものと想像するが、 これも同じ釜の飯を食った遺伝子のなせる業か、各パートの音色の統一感は抜群であった。

特にベース系のユニゾンは一級品だ。 あのような均整のとれた倍音豊かなユニゾンは久しぶりに耳にした。 先回のエントリで述べた、「水墨集」の録音での響きを彷彿とさせる。

「土堤の下のうまごやしの原に」 「ズーンともだす・・・」 いやはや、ほんと腹の底に響きましたぜ。

関西学院グリークラブを一時凌ぐほどの実力を誇った関大グリー。 重厚で強固なベース系の上に、光彩色豊かなテナー系が乗っかる構造は昔のままだ。 音楽は、時代を超えて意識の中を駆け抜けるものなのかも知れない。

この「富士山」にはチェックポイントのような難所が存在する。 小曲を歌い進むに連れ、幾つものチェックポイントが散りばめられ、 まるで歌い手が、有資格者であるか否かを何度も何度も試そうとしているようだ。

さすがに、この大曲を前にして特に後半、OBメンバーの集中力は途切れがちになるのか、 このチェックポイントで精彩を欠くという場面がまま見られたのは致し方ないが、 その対策を講じた努力の跡があまりいまひとつ感じられなかったのはどうしたことか。

その対策が有効でなかったのか、それとも最初から対策しようとしなかったのか。
多くのメンバーを道案内するのに、下見もしていなかったというのだろうか。

かつて通った登山道も、時が経てば崩壊し、道順さえ変わっているかも知れないのにだ。 そういう意味で、引率者たる指揮者の実力に疑問符をつけざるを得ないというのが、 私の偽らざる感想だ。

小曲五曲のテンポ設定にあまり差がなく、または楽譜指定より若干早めの設定という解釈だが、 結果として、合唱組曲に奥行きを与えられなかったのは残念である。 しかも、その先に何かがあるわけでなく、実際何もなかったのだから。

このような一級品ぞろいの逸材を前に、なぜに料理をしようとしないのだろう!? また、終始指揮がバウンドするので、曲調に落ち着きが無くなり、徐々にブレスが浅くなる。 その結果、フレーズ感を削ぎ、合唱から彩りを奪っていたように感じた。

最前列で歌っていたバリトンのメンバーなど、途中からブレスが上がってきて、 指揮の弾みと顎の先とが同期してしまっていた。

おそらくは、指揮者人事に学生時代の完全な序列社会が持ち込まれているのだと想像するが、 そのようなシガラミの中、実力のない者が淘汰されないというシステム。 純粋に合唱を楽しみたい部外者にとっては、一番に改革して欲しい所だと願わずにはいられない。

などと、またまた他人様の演奏について大上段から振り下ろしてしまったが、 歌い終えた後のメンバーたちの笑顔を見ていると、そんな事はどうでもよくなってくる私だった。

第一ステージにせよ第二ステージにせよ、かつての歴戦の勇士たちを前に、 この世のあらゆるOB合唱団の可能性と限界というもの・・・、 そして、そのメリットに対する賛辞とデメリットに対する諦念というものが交錯する。

それは、私がOB合唱団演奏会を聴く際に、毎度抱かざるを得ない正直な感慨なのである。
(つづく)

 

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