本当の「これから」 ←想像できない仲間は去っていった

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■記事引用:本当の「これから」 (上毛新聞2008年10月6日)

◎技術の先を見つめよう       音楽家 松本 玲子

・・・(前略)・・・

 目の前に坂があればとりあえず上ってみようと思える。しかし頂上らしきところに着いてしまったら、さて次はどうすればいいのだろうと急に不安になる。見回してみてまた別の坂が見つかることもあれば、途中で見落としてきた花に気づくこともあり、あるいは、ま、こんなものか、とサッサと下りてくるのかはそれぞれの自由だ。ただ、まだ坂の途中でウロウロしている私に、下りてきた若い人たちが「頂上も見てしまったことだし、もうやる気が起きない」と言うことがあり、それがとても残念だ。

 夢中で坂を上りきった後に必ずやってくる大きな問いかけ―自分は本当に何がしたいのか、自分には一体何ができるのかという、おだやかだが果てしのない自問の海に投げ出されたとき、途方にくれるのか、それとも方角を定めて船を進めるのか、いっそ船から降りてしまうのかを決めるのは自分でしかない。

 そんな時にこそいろいろな経験が生かされるのだろうが、早くに技術の山頂に到達できると、それだけ早く道しるべのない海に投げ出されるということになる。しかも努力に対していつも結果が応えてくれるとは限らない。自分の考えを他の人が理解してくれるとも限らない。毎日が理不尽でやるせないことの連続だと感じ始めたとき、「どうせダメだろう」と思うか「ダメだから面白い」と思うかは、その後の生き方を決めてゆく。

 頑張って練習したことが発揮できた小・中学生のステージ上の笑顔は最高だが、学校と音楽の両立や友達関係で悩んだであろう高校生の演奏には、淡いながらも人生の彩りのようなものがにじみ出てくるような気がする。だから私はいつも審査員席からステージにエールを送るのだ。「あなたは私の何倍も上手に弾くことができるし、私はあなたの何倍も悩みながらも、ほら、こうやって弾き続けているでしょ。大丈夫、これからもっと面白くなるからね」

 本当に面白くなる「これから」も、人それぞれなのがまた面白いところだ。

視点 オピニオン21

■合唱でも何でも、究めようとする時に現れる障害は皆同じである

上毛新聞を読んで、久々に唸らせる記事に遭遇したので引用した。

およそ物事を究めようとする場合、一つの頂点を目標とするものだ。

そこが頂だと思ってせき切って登ってみれば、結果単なる鞍部(コル)とか踊り場で、本当の頂は、まだまだ遙か向こうだった…などという現象には、山歩きを嗜む方なら、しょっちゅう出くわすことだろう。

引用文のように、頂きらしきものでも、到達できれば御の字なのかも知れない。頂きを目指して一歩一歩進むものの、必ずや大小の壁や障害にぶち当たる。個人技ではない合唱だからこそ、問題は複雑である。それは、技術的な問題であったり、精神的な弱さであったり、人間関係の難しさであったり。

我々分別のある大人は、子供とは違うから、その道程の途上でさえ、自問を止めることはない。そして、自ら決断してパーティに加わったり、時には別れを告げる。

その決断に際して、引用文のように、「どうせダメだろう」と思うか「ダメだから面白い」と思ったか。

ここ前橋男声合唱団では、コルにさえ到達することもなく、多くの人間が集まり散じていった。もしかしたら、彼らは山麓に咲く花にさえ気づいていなかったに違いない。自らが決めたことである。もちろん、後悔などすまい。

今日、一旦団を去っていた友人が、活動に復帰する意向を伝えてきた。心から喜びたい。

その友人もある種の壁に突き当たって、戦線を離脱することを余儀なくされたのだった。とはいえ、それは、新たな葛藤や苦悩との戦いが再開されることをも意味する。

一緒に大いに苦悩しようではないか。それが、歌に味わいや深みを与えるのだ。未知なことは、恥ずかしがらずに学べばいい。

本当に面白くなる「これから」。それを想像できないということは、この上なく勿体ないことなのだ。

 

 

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コメント

  1. ウサイン・ゲブラシラシェ より:

    彼は何故、途中で戦線を離脱するに至ったのでしょうか?離脱した当時、本人は原因に気付いていなかったのではないでしょうか。
    今年は北京オリンピックで、男子100mにおいてウサイン・ボルト選手が9秒69、また、つい先日ベルリンマラソンでハイレ・ゲブラシラシェ選手が2時間3分59秒という、双方、驚異的な世界記録を樹立しました。
    42.195キロを2時間3分59秒で走るには、あくまでも平均ですが、100mのスプリットタイムは約17秒63ということになります。では、もしボルトが持つ9秒69のスプリットタイムで走り続けたとしたら、どうなるでしょう。なんと約1時間8分15秒の記録が出ることになります。しかし、そんなことは絶対無理なのは自明の理です。そんな無茶な走りをしたら、200%途中棄権という結果になります。
    さて、彼は気が付いていなかったんですね。合唱という長距離レースを9秒69の全力疾走で駆け抜けようとしていたことを。気が付いた時には、彼は棄権していました。
    しかし、彼は運がいいです。執筆者のような「友人」が受け入れてくれる団の土台がある訳ですし、そもそも例えに出した「陸上」と違い合唱は引退までが長いですから、陸上よりはやり直しができる機会が多いですしね。
    彼も、どうやら静養を済ませて、復帰してレースに挑むようで。

  2. Tetsu より:

    ウサイン・ゲブラシラシェさん、コメントありがとうございます。
    また、レスポンスが遅れてしまいすみません。
    短距離走のペースで長距離走を走る・・・確かに無謀な気はしますが、必ずしも絶対無理だと決めつけるのは早計では?
    要は「夢」なのではないでしょうか。
    夢に向かってなら、人間、時にはその走りも世界記録級にだって達し得るのでは?
    人間の限界とか可能性は、まだまだわかりませんし。
    彼は、夢を見失ってしまっていたのではと。
    原動力である夢を失っては、どんなにスローペースでも疲労困憊は極みに達し、きっともたないことでしょう。
    しかし、彼はまた夢を見据えることができた。
    そして、私にとっても再び彼を加えて夢に向かって進んでゆけることは、何物にも代え難い喜びです。
    それは、もしかしたら永遠に辿り着くことのできない夢なのかも知れません。
    特に合唱(音楽一般も)って、ここまで出来たから、これでOKということがないし。
    「もうトシだから夢なんて・・・」とおっしゃる方がよくいますが、ホント勿体ない!
    メンバーが皆、夢を持って、目を輝かせてウルウルしている・・・(o^-^o)
    オジサン達が、かなりキモ~な風景かも知れませんが、そんな音楽集団もいいなぁ。

  3. ウサイン・ゲブラシラシェ より:

    Tetsu様。ご回答ありがとうございます。
    仰るとおりかもしれませんね。彼は長距離を全速力で走り切ろうとして疲れてしまったというのも、彼にとっては間違いではないのでしょうが、「夢」を見失っていた、「目標」が見えなくなっていたのでしょう、恐らく。目標が見えないのに走り続けるほど苦しいことはありません。体力的にも辛かったというのもあるでしょうが、夢・目標が見えないのに、ある意味理由もなく(ちょっと言い過ぎかな?)走り続けるのは、精神的に相当きついでしょうからね。ぼんやりとでも夢が見えていれば、ペースダウンしてでも走っていたでしょうに。
    人づてに聞いた話ですが、彼はハッキリとした目標・夢を探し当てたわけではないのですが、貪欲に歌いたいという気持ちにブレーキを掛けるのをやめたらしいですよ。どんなきっかけであれ、彼が再び歌い始めることは事実のようです。再スタートを切った後に、夢・目標を模索し始めても、遅くはない気がします。彼にもきっといつか、具象化された夢が見える日が来ることを信じています。

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