合唱エキスパートの欠乏(その3)

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○「楽」と「楽しい」の差・・・(またこの話かよ) 

もう何年か前の話になるが、とある2つの合唱団の合同演奏会の何ステージ目かで、お姫様のようなドレスで着飾った女性指揮者が登場し、曲が始まるとやおら振 り返り、「え~でるわぁーい・・・」とエーデルワイスの歌を歌い出すのを見て開いた口が塞がらなかったことを強烈に記憶している。

バックの合唱団員のおば さま方も、妙な衣装をまとい、そりゃもう小娘よろしくハミングしながらウキウキであった。「うわっ・・・さぶ・・・」一体、聴衆を・・・そして合唱を何だ と思っとるんだろうかっ!?

別にその発声の拙さとかおばさんの若づくりに怒っているのではない。楽しく歌いたいのはわかる。しかし、自分達が楽しければ何 でもいいのか。歌い手が楽しければ、聴き手は必ず楽しいとお思いなのだろうか。

この演奏会における特殊な出来事であったのならいざ知らず、こういった傲慢 な趣向(?)のステージは多いものだ。「何をしたってあたし達の勝手でしょ!!」と凄むおばさま達が目に浮かぶようだが、こういうステージを企画する合唱 指導者が多いのでは、合唱界の将来はひじょうに暗いと思うのは私だけだろうか。 

今 年2月にソルトレーク冬季五輪があったが、その中で敢闘した選手へのインタビューの答えには、「・・・楽しめました・・・」というくだりが必ずと言ってい いほど含まれていた。世界中から選抜されたこういった人達は、あの華々しい五輪の舞台の裏では血と汗と涙が滲む努力をしているものだ。本当の楽しさとはこ ういうことなのではないか??

以上のように考えると、前にもこの話題について記したが、「楽しさ」と「楽」を履き違える輩が、合唱界には実に多い気がする のだ。きっとこれを読んでいるあなたにはあてはまらないでしょうけどね。歌い手だけならまだマシだが、指導者側が率先しているのだから目を覆いたくなる。 

○そし て悪循環 

このよ うに、問題点は複雑に絡みあっている。合唱環境の悪化は、人々の関心を合唱から遠ざけ、ますます集う仲間が減っていくという悪循環を招くことになる。そし て、合唱に賭けた様々な思いや情熱は、やがて抜け落ちた枯れ葉のように螺旋階段を舞い落ちていく。

このままでは合唱はローカル化、小規模化していくことは 避けられまい。景気の低迷と時を同じくして群馬だけではなく、全国のアマチュア合唱界は目には見えないデフレスパイラルを急降下しているのである。

 ○関係 機関の無為無策 

文化行 政所管の教育委員会は、神の見えざる手よろしく、放任主義である。小泉首相にも「聖域無き構造改革」の号令のもと、こちらにも改革のメスを入れていただい てはいかがだろう?? 

そもそ も、民間対民間の些事には介入しない・・・、これ役所の鉄則である。しかし、アマチュア合唱界の窮状について知っているのか知らないのか、行政担当者はな ぜか無関心である。本当に芸術を振興する気があるのか疑問だ。

それとも、群響(群馬交響楽団)だけで手一杯なのかそれだけで充分と思っているのか・・・。 市町村の教育委員会も喜んで外国からオケを呼んだりしているが、本来芸術の本分である「創造」する仕事や、「技術的な領域」には無頓着なのはなぜだろう か・・・。

最近ようやく本格化した生涯学習でも、合唱に関するメニューは無いに等しい。これこそエキスパートの不在を裏付ける好例なのである。

 唯一の 頼みである合唱連盟が毎年の定期的なイベントに身を粉にしているのは知っている。だが、合唱の将来ビジョンについて、傘下の合唱団任せにしておくだけでな く、主体的に議論を始め、身に染みて考えなければならない時期に来ているのではないか。

自分たちがこれからも合唱を楽しんでいこうとするならば、若年層を 集めることが焦眉の急となるのは論を待たない。単なるイベント屋だったら誰にだって出来る。どうせイベントを打つのだったら、合唱を今までとは違った角度 からスポットを当て、裸にしてしまうような・・・何かメッセージ性の高いイベントが欲しいところだ。

これから生まれてくる子供達にも、素晴らしい音楽や合 唱に触れて欲しい。また、自然にそれが可能な環境であって欲しいと切実に思う。そういう社会を目指すため、連盟は行動を起こすべきだ。そうでないと、連盟 の法人としての存在価値などなくなってしまうのではと危惧するのである。

はー いっ!!合唱コンクール出ますっ!!と手を挙げる・・・そりゃ、いい心懸けである。見上げたモンだ・・・ただ、だったら真剣にやって欲しい。ちゃんと、レ ポート用紙何枚もに書けるくらい、コンクールのために選曲した曲について、勉強して欲しいのだ、センセ方に・・・!! 優雅に夏休みしてんじゃねぇぞ!! (笑)

指導者にヤル気が無いのなら生徒が可哀想である!!合唱はオケと違って中途半端なスタンスで充分楽しめるよ~♪・・・だなんていい加減な教育をされ ては、後々の世代が困る。教育は国の礎・・・これは古今東西変わらぬのではないか??

それに、貴重な青春時代を浪費させないで頂きたい。さもないと、「あ の時間を返して」と訴えられますぞ~ それと、いろんな曲集の委嘱もやりすぎ。文化ホールとか、道路とか、公園とか、、、いわゆるハコ物はもう沢山である。こういうハードなんかよりソフトを見直す べきだ。

たとえば、あ、ア・カペラを練習したいな・・・って思い立った時に、役所やホールのホームページをたどっていっても、会議室はたくさんあるのに、 「音楽練習」はできない場合が多い。他の会議室は使ってないのだから騒音にはならないだろうと思うのだが、音楽や合唱はちょっと・・・と、敬遠 される。

県庁なんか、不夜城みたく、照明ギラつかせながら一晩中立ってるけど、あん中にゃ、合唱におあつらえ向きな広さの会議室が何十ってあるのだ。県民に開かれた県庁舎を標榜する割には、何の工夫もないとは言えまいか。 

とにか く、合唱は人が集まらねば話にならない。それにはこの悪循環を勇気を奮って断ち切ることが肝要である。遅まきながら21世紀の姿について議論を始めようで はないか。それとも、こういう役所や法人に一縷の望みをかけること自体、骨折り損なことなのだろうか。

 取っつ きやすく、外見的にすぐれたものが好まれる。コンビニ全盛で何もかもがいつでも手に入る。こんな時代である。快楽はいつも目の前にある。

それに対して合唱 は、人にたとえればさしずめ辛気くさく、しかめ面をした人。最初は近づきにくい。外見的には胡散臭くて、この時点でアウト!!となるだろう。

しかし、つき 合ってるうちにその人の奥深さがわかってくるのだ。人を見抜く目・・・そしてそれは真実を見抜く目。そして、それは技術的に上手くなくとも、心のこもった 演奏を是とする価値観・・・それと、それを見抜く目に繋がる。更にはこれを培養する社会環境。更にはその社会環境が価値観を育てる好循環・・・。この好循 環と悪循環のせめぎ合いの中で、徐々に好循環が追いやられ、全てが今の我々の周りから、姿を消し去ろうとしている。

 

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