創立20周年を迎えて・・・

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今月は、小団が1989年(平成元年)に創立されて以来、丸20年となる。 10年一昔というが、20年といえば二昔前の話である。

創立時に掲載された新聞記事があるので引用してみたい。記事上は、創立の中心人物であった当時の団長の上半身写真も掲載され、 その生い立ちをとともに構成されているが、 創立時の精神や取り巻く状況等、小団が生まれ得た環境を想像する上でも貴重な資料である。

19890614_2
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■記事引用:本格的な男声合唱団 幅広い音楽に挑戦

上毛新聞1989年(平成元年) 6月14日(水)「地域に生きる」欄 ママさんコーラスをはじめ女声合唱団や市民第九合唱団など混声合唱は盛んだが、男声合唱団ということになると県内にはほとんど見当たらない。そこで「本格的な男声合唱団を結成し、その魅力を広めたい」と前橋男声合唱団結成を呼び掛けた。 県内各地から約十五人が呼びかけに応じた。中学、高校の音楽教師、医師、会社経営者と職業はさまざま。平均年齢は三十五才。仕事だけでは飽き足らない。なにか行動を起こしたいという人たちだ。 でも、本格的な男声合唱団というには人数がまだまだ。「五十人ぐらいのメンバーになれば、かなりの迫力ある音が出せる」。メンバーを募集中だ。(中略)大学に四年間、籍を置いた男声合唱の魅力が忘れられない。昨年は全国に散らばっている大学時代の仲間を前橋に集め、ホテルを会場にコンサートを開いた。これを聞いた人たちの中から合唱団結成の機運が盛り上がった。 「古典的な宗教音楽から現代の邦人作曲家の曲まで、幅広い音楽に取り組みたい」という。興味のある人は、自宅(電話番号記載)まで連絡を。
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記事中にもあるが、団員数について五十人という数字に触れている。

当時、具体的な目標値というわけではなかっただろうが、本当に夢のような人数である。 現在、実働団員は25人であるから、20年にして丁度道半ばであることに思いを致せば、 その夢物語は脈々と引き継がれて、現在に至っているのだとも言えるだろう。

実はこの間、厳密に勘定をすれば、現在の25人というストック分に対し、 既にフロー分として30人ものメンバーが小団を通り過ぎ、または、活動再開を躊躇している。

それにしても、人の心はうつろいやすく、時にはかたくなであった。 いずれ戻ると約束して出た友も、二度と戻らなかった。 創団時の熱もようやく冷め始める頃、時の団長も、そんな現実に翻弄されつつあったのだ。

この筆者は創立三年目である1991年(平成三年)に入団したが、 一旦集まった人材が、その頃までに早くも流出を始めていたことをよく覚えている。

当時の私は団の運営には無頓着な、単なる出席率の低い一団員だったが、 その団長が求心力を強化もしくは保持すべく一所懸命だったのが、今の立場になってよくわかる。

彼が自らの大学時代の同期など、かつて同じ釜のメシを食い、そこそこ実力を持つ仲間を呼び寄せてでも、 県内でも珍しい男声合唱演奏でのデモンストレーション色の強いパフォーマンスを企図したのも、 合唱にとって不毛の地であったここ群馬県のことを、本人が深く認識するが故であったろうし、 それは、本格的男声合唱のための一掴みの種を植え付けようとする切実なる試みであったのだ。

しかし同時に、男声合唱のインパクト側面やパフォーマンス性によって生を受けたという所以もあり、 外見的で浅い音楽性をも指向せねばならない大きな矛盾をも背負い込むことになったのだ。

当初は些細なすれ違いで済んだとしても、新指揮者の招聘や新団員の大挙入団により亀裂を深め、 その後の小団を長期間にわたって迷走させてゆくことになったのだ。

更には、この記事の主人公の思い描く「団員五十人」は、実は絵に描いた餅そのものであり、 そこへ到達するための戦略や具体的な構想には乏しく、 今振り返ってみるに、既に彼の役割は終わっていたのだと総括しても良いだろう。

ビジョンを持たない船に客が乗ろうとするはずもなく、遅かれ早かれ、 この矛盾をはらんだ合唱団運営が破綻をきたすことになるのは、寧ろ必然であったのかも知れない。
(詳しくは、小団15年史をご参照願います)

確かに、苦難の過去を乗り越えてきたのかも知れない。 そして、もうとうに、その軛(くびき)からは解き放たれている。 しかし、それは新しい友には関係のないこと・・・。

本ブログに度々記しているように、来し方を顧みることは、前を向いて歩くのに有効だ。 これからも節目の年を迎える度にそれを繰り返すことだろう。 ただ、我々は運命の必然には逆らえない。

この私もいずれはこの役割を終えて退場する日が来よう。 だから、この今を、砂が掌からこぼれおちないうちに、渾身の力をもってみんなと歌いたいのだ。 燦然と輝く合唱の頂に向かって、一緒に前を向いて歩いてゆきたい。 それがいかに遠回りで険しい道のりであっても。

 

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コメント

  1. Aik8man より:

    Tetsu様。
    この歴史を、見、聞きするたびに苦労されていたのだなと痛感します。
    私が入団したのが2003年6月。新たな船出が始まって、波に乗り始めた頃なんですね。
    休団期間を含め約6年間、私自身具体的なヴィジョンを持たずに、なんとなく時だけが過ぎてしまったなあと感じます。
    今でも、目先の目標、周囲を聴くとか、力まずに柔らかく伸びやかに響かすとか、技術的なことばかりに目が行って、その日その日クリアしていくのが精一杯ですわ。
    長いスパンで具体的な計画や解決策が見えていなくてはいけないのでしょうが、私にはぼんやりとした霞のようなものしか見えません。
    う~ん、このままの自分でいいのでしょうか?でも自分はこんなボヤッとした人間ですし...

  2. Tetsu より:

    Aik8man様、コメントをありがとうございます。
    よく勘違いされるのですが、個人的には少なくとも苦労した気はしてないんですよ。
    たまに、労苦、苦難、苦節・・・なんて言葉を使っちゃうからでしょうけどねぇ。
    私自身は、これまで、本当は十二分にたのしんできたつもりです。
    >長いスパンで具体的な計画や解決策が見えていなくてはいけないのでしょうが、私にはぼんやりとした霞のようなものしか見えません。
    いえ、充分見えてらっしゃるのではないですか?
    Aik8man様は、入団を決断される際に、きっと小団の何かに惹かれたはずです。
    だからこそ、入団という重い決断をされたわけですから。
    更には、再入団という大きなエネルギーを使ってまで行動を起こされました。
    小団はスローガンめいたというか、明文化されたビジョンを所持しておりませんが、
    きっと、Aik8manさんは、目に見えないそれに共鳴されたのではありませんか?
    僭越ながら、ぜひ、それを忘れずにいて欲しいナと思います。(ホント、僭越ですね・・・汗)

  3. Aik8man より:

    Tetsu様。
    私も上手く言葉にすることは出来ませんが、自分の志す・目指す合唱の姿と、前男のそれが、波長が合い、大きな共鳴音が自分の中に響いて来たのは確かです。
    復団するときは遠くから再び共鳴が鳴り響いているのが感じられ、復団した際の心地良さが心に浮かんだんですよ。そして、後ろから「ポン」と背中を押してくれた仲間・戦友がいた。ありがたいことです。
    >ぜひ、それを忘れずにいて欲しいナと思います。
    忘れずに持ち続けます。今度忘れたり見失ったら罰が当たりますね。(^^ゞ

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