合唱エキスパートの欠乏について(その1)

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いきなり何やら難しい表題である。

私の記憶が確かなら、NHKの学校音楽コンクール高校の部で群馬県からは、昭和59年度の出場(このときは何と全国優勝 を果たしている)以来、ここ20年近く全国大会に出場していないという驚くべき事実がある。

その前に関東大会という大きな壁があるのだが、ことごとく他県 勢に敗れ去っているのだ。

合唱の甲子園とでも云うべき栄えあるコンクールの全国大会に長期間出場していないのは、普通なら異常な事態である。

コンクール至 上主義をことさら賛美する気は更々ない。また、出場することにのみに意義があるという考え方なのなら是非もない。そりゃ毎年勝手に出場していただき、勝手 に敗れ去ればいい。

教育側としてはそれはそれで、生徒達に良い経験をさせたという自己満足に浸ることは出来るだろう。だが、その実それでは納得していない 生徒達も多いのではないか。どうせ出場するのなら評価されたい、勝たなくては出る意味がないと。

私には合唱教育に対する教育行政としての政策的な無為無策 と、現場の大人達の刹那的な自己満足と合唱の将来ビジョンへの想像力不足または怠慢により、合唱音楽の素晴らしさ(それは楽しさだけではなく厳しさをも内 包した)を肌で知る機会や、合唱団という集団の中での個人のあり方を身を以て体験する等、人間形成の上で重要な時間を、思春期の感性豊かな子供達から遠ざ けているように思えてならない。

しかし、これも無理もないことなのかも知れないのである。なぜなら、合唱に関するエキスパート(専門家)が、どうやら群馬 県では少なくなって来ているからなのだ。いや、もしかしたら、今までエキスパートが不在だったのかも知れない。

○大学教育の落とし穴

県内でなくともアマチュア合唱団の指揮者には、音楽教師(または音楽教師出身)が多い。当然のことながら大学で音楽の専門的教育を受けた方たちである。個人的 には問題は全くない。しかし、その大学教育が大いに問題なのである。

ご存知の通り、芸大をはじめ諸々の音楽大学は、指揮科、声楽科、ピアノ科、器楽科等 々、錚々たる学科名が並ぶが、国内では合唱もしくは合唱指揮の研究科というものは、ほとんどないのである。

もちろん一般大学の教育学部となれば、学科名は 「音楽科」となり、その中で各専門的コースについて学ぶといった具合である。

このように、大学での音楽教育が、ソロの演奏家中心の専門的育成の場となって おり、合唱の専門的教育に乏しく、合唱の講義といえば、せいぜい選択科目程度であり、学生達にも重要科目であるという認識はない。

そもそも、合唱について は交響曲や管弦楽曲の中の合唱声部という捉え方をされており、声楽のソリストより下風に立たされているのが実情であろう。

合唱をきっかけに声楽家への道を 歩み始める者は多いが、その逆は皆無に近い。そして、格別専門的な合唱教育を受けることもなかった人間が、いずれ音楽教師として輩出され、学校音楽コン クールでの演奏を指揮したりする・・・ということになる。

また請われたといえ、(やむを得ず?) 音楽教師が判を押したように合唱団の指導者を引き受ける のは、こういう大学教育の合唱軽視の風潮が素地になっているのではないか。合唱指揮など所詮、オーケストラに比べりゃ簡単なものだというふうに・・・。

しかし、合唱は技術なのである!!ナメちゃ いかんぜよ、音楽系大学出身の皆様。・・・もちろん、全ての音楽教師がそうであるとは言っていない。もちろん、音楽のセンスはまあまあだろう。しかし、何 せ大学ではほとんど合唱教育は行われていない、、、楽典や和声学に精通していても、とかく合唱曲への造詣や合唱特有の技術への理解はさほどでない場合があ る。

もちろん、その後合唱指導者として研鑽を積み、素晴らしい実績をあげている方もいる。しかし、知識はあっても、どだい限界が見えている。それから先 は、どれだけ、多彩な合唱空間(それは修羅場も含めて)に身を置いて、創造力(=想像力?)を働かせていたかが、決め手となる。

だから輝かしい学歴や華々しい演奏経歴に幻惑され、自分たちの合唱団に招聘するのは自業自得であるにしても、合唱を舐めきった指揮者の演奏を聴かされる のは客にとっては良い迷惑である。

合唱指揮者だけでなく、ピアニストだって、「伴奏」は特殊技術である。やはり、大学教育では華々しいピアノのソリスト志 向に隠され見下されがちである。「伴奏」って、やっぱり選択科目だったような・・・。

ソリストとして有名なピアニストを(無理矢理?)合唱演奏会の伴奏者 として招いて、ステージ自体が失敗に終わった例は枚挙にいとまがなく、そういう現象は現在も平然と日本各地で行われているのである。

ともかく、「合唱指導 (指揮)者」「伴奏者」「歌い手」はともに、社会的に一人前としての認知を受けずに、どこか斜陽産業のように脇役へ追いやられている。だからこそ、その3 者に係るエキスパートが欠乏してきているのである。

 

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